わたしの1日は朝食作りから始まります。あたり前かもしれませんが、この習慣は何十年と続いています。1回として夫が替わったことはありません。ともかく、家族が1日元気でいてほしいと思うからです。残念ながら聖書を読むことから始めてはいません。
本日の個所は、汚れた霊に取りつかれた人をイエス様がいやしたという記事です。イエス様の病気のいやしの記事は聖書の中で多くの割合をしめていると思います。それだけ健康が大事なものであり、深刻な病気は人を社会から追い出し、時に悲惨な生活を強いられることもあるからです。時々大変な病気なのに明るく生きている方に出合いますと、とても励まされます。健康に関係する格言も多くあります。「病は気から」、「病は口より入り、禍は口より出づ」、また、「医食同源」という言葉もあります。人々はいつの時代にも病気や健康ということに関心を寄せて来ましたし、関心のなかった人は健康が失われて初めて健康の有難味に気がついたということも聞きます。病気を大きく分けますとメンタルなものとヒジカルなものに分けられるのではないかと思います。両者は互いに無関係ではなく、関係しあって病気を引き起こしているように思います。
本日の個所の悪霊に取りつかれた人は、現代風にいえば精神的疾患の人と考えられると思います。マルコによる福音書のこの記事はルカ4章31節から37節にも記されています。その他マタイの8章、マルコ5章、ルカ8章にも汚れた霊に取りつかれた人の記事があります。汚れた霊を豚の中に送り込み、その豚が湖になだれ込み、そこで死んだ記事です。イエス様は奇蹟を行われた後、「主が憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と言われました。
また、マルコ9章14節から29節と同じ記事がマタイ17章14から20節、ルカ9章37節から43節にもあります。なぜ弟子にはいやす力がなかったのか。イエス様は、「祈りによらなければけっしてできない。」と言っていますから、その時、弟子たちには試みたけれどできなかったことが分かります。ルカ13章32節では、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える。と私が言ったと伝えなさい。だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。」とあります。イエス様はいやすことに多くの時間と体力を費やされ、人々の必死のいやされたいとの願いにお応えになりました。病気は人を一般社会から追い出し、収入を閉ざし、税金が納められなくなり、他の人々からは相手にされず、時に墓場に住まざるを得なかったことが聖書から伺えます。ですから、病気の人々もまた必死でイエス様に助けを求めたと思われます。そして、イエス様はそのみわざを全うされました
以前、わたしは何人かの仲間と一緒に油絵を描いていたことがあります。風景画、生物画などで、人物画の裸婦だけはモデルさんに来てもらいました。描いた後、喫茶店で批評し合い、また、有名な画家たちのことも話題になりました。私は特にオランダの画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに心を留めました。彼の作品は、繊細かつ大胆でもあります。アカデミックな絵画の教育に染まらず、また、そういうものに頼らないことで、彼独自の色彩をシンプルな色の配合によって生み出したその独創性に触れた時、知識を見せびらかす律法学者のようなことはけっしてなさらないイエス様を知る糸口となりました。
ヴィンセントは牧師の家に生まれました。自分も牧師になろうとしますが、落第し挫折します。その後ベルギーのブリュッセルの福音伝道学校で、信徒説教師としての訓練を受けます。牧師がだめなら、伝道師としてやっていこうと思ったのでしょう。貧しい炭鉱町で見習い伝道師として働きますが、ここでも校長から不適格者とされ、画商、本屋で働くことも長続きせず、最後には画家になる決心をします。娼婦との同棲、ゴーギャンとの共同生活も2カ月で破たんし、その後、耳切り事件、自ら精神病院に入院、病状が回復し、街に出ると、住民たちは彼を危険人物と見做し、病院に戻すよう市長に嘆願書を提出しました。ある日ピストルで自ら命を落とします。両親はヴィンセントに期待をしていませんでした。30歳を過ぎても収入がないのですから、もっともなことだと思います。しかし弟のテオだけは兄の才能を知っていました。しかも、生きている間は認められることはないであろう、しかし、死後には認められるであろうと未来を言い当てています。
私は画家ヴィンセントの生涯について2つのことを心に留めました。1つは、私は集団行動が苦手でしたから、無理に人に合わせていかなくてもいいんだと彼によって思うことができました。もう1つは彼の死後、弟のテオが葬儀用の馬車を教会で借りようしたところ自殺者はキリスト教の教区民には属さない」からと馬車を貸してくれなかったこと。この2点です。
きょうの個所でイエス様はヒジカルな病気と同じようにメンタルな病気の人にも手を差し伸べられました。マルコによる福音書の今日の個所で、「権威ある新しい教えだ」と書かれています。どうしてこれが「新しい教え」なのでしょうか。
イエスは律法学者のようではなく、宗教的知識を見せびらかす人のようではなく、権威あるものとして、貧しい人や病気で苦しむ人々と共に歩まれました。今日も明日もその次の日も悪霊を追い出し、病気をいやし続けたイエス様の姿はマルコ福音書の記者に強く届いたと思われます。
法を説くキャリアではなく、一人の工として懸命に働かれるイエス様は人々に新鮮であり、悲しむ人々に納得のいくものであったと思われます。
イエスさまは、当時の現状を見られ、まさに、今、人々が苦しみ喘いでいたことに心を留められ、憐れまれ、いやしのみ手をダイレクトに差し出すことを優先しました。マルコの記者はそのイエス様を伝えたかったのだと思います。いやしの奇蹟の記事をイエス様が神の子であることの証としてではなく、人々が病に苦しんでいた、その痛みを担い、教理よりまず、切実な人々の苦しみに対することを第一としたことを伝えたかったのだと思います。イエスさまは今、最も必要とすることを優先されました。
ヴィンセントに教会がしたように、自殺者には馬車を貸すことを拒否したようなことを、わたしは人に対してしてこなかっただろうかと思います。重大な精神病といわないまでも、よく聞く病気にうつ病がありますが、日本では患者が100万人を超したと言われています。現代病かと思っていましたら、アリストテレスが「メランコリー」と言ったのがうつ病の起源ではないか、と言われているそうです。そうしますと紀元前からということになります。
ストレスの多い社会の中でこのような方々が少しずつ増加し、忙しい時に仕事を休むことが長期になったりしますと、邪魔にさえされてしまっていることがありました。そのような方々に背を向けて来たのではないかと思います。
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせるものは、大きな石臼を首に掛けられて深い海に沈められほうがましである」と聖書にあります。
現在では、MRIによる脳の解析により、うつ病の患者は「良い出来事」を予測する部位の働きが鈍く、「悪い出来事」を予測する部位の働きが活発であったとの仕組が解明されているようです。また、血液検査でうつ病を判断する指標も発見されているようです。精神疾患の医学的な解明が進められているようですが、必ずや、科学では解明できないこともたくさん残されていくことと思います。
私たちの歩んだ道は、転び、障害となった石ころの道を通って来たとすれば、絵に例えるならば、素晴らしい構図となり、また、その石ころがなかったなら、なんの価値もない絵になっていたかもしれません。イエス様と歩んだ道であるならば、高速道路のように整備されていないけれど、曲がりくねった道が輝いて見えてくるのではないかと思うのです。
パウロは、パウロの書簡の中に何度もそのトゲを取り除いてくださいとお願いしたと書いています。そのトゲは、癲癇なのか、目の障害なのか、また、そうではなく、耐えられないような侮辱や窮乏、迫害なのかも分かりません。教養のある人には意地悪な教養をもって向かって来る者がいたかもしれません。彼は何度も神様にお願いしましたが、しかし、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」と神さまは言われました。パウロは、「大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。苦しみの宣教の中で神さまからこのような回答を得ています。
「何事にも時があり、天の下のすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時がある、殺すに時があり、そしてまた、いやすのにも時がある。」と聖書は言っています。そして気がついてみれば、「みな時にかなって美しく」キャンバスの中に整えられているのです。
生存中はほとんどその芸術を認められなかったヴィンセントでしたが、彼のひまわりの絵は20数年前、ロンドンでのオークションで日本人により、53億で落札され、手数料を含め58億で購入、それは今、損保ジャパン東郷青児美術館に所蔵されています。かつて彼は牧師になれず、伝道師としての適格性を欠く者とされ、排除され、画家を志しました、アカデミックな教育も受けることなく、独自の色彩を生み出しましたが、彼の両親にも期待されませんでした。
イエス様ご自身が、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である」、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われ、人々が必要とするところ、弱いところにダイレクトに働かれました。
賜物が何もないと思える時も、主の助けによって用いてくださるならば、素直に応えるものとさせていただきたいものだと思います。
病や、障害となった様々なトゲがわがままなわたしを変え、味のある絵と変えさせていただけるものと思っています。たとえ、人の目に止まらなかったとしても、その絵を丸ごと、命の終わりの時に高値で神さまに引き取っていただきたいと願うものです。