「牧者の手紙」 (徳田 宣義牧師) 2006年9月10日 月報 第447号より 『ハイデルベルク信仰問答』について② 一 先月の月報で、ハイデルベルク信仰問答の恵みの豊かさに少し触 れました。 今回から、少しずつ月報において、信仰の足腰を強める助けになる ことを願いながら、 皆さまと共に、 ハイデルベルク信仰問答の言葉を たどってまいりたいと願っております。 二 9月を迎え、 様々な方から夏の旅行の報告を伺う機会がありまし た。そしてそのお話を伺いながら、旅行というのは、多少のトラブルが あったとしても、心躍る楽しいときであるということを改めて思ったので した。そしてその旅の楽しさを深く味わうために、私どもがよくいたしま す一つのことは、事前に行くべき場所を調べるということです。今では 本屋さんに参りますと、旅行の本が、沢山おいてあります。 沢山の本 がありすぎて、逆に迷ってしまうほどです。 様々な観光案内の本がある、しかし、いずれに致しましても、ほとん ど例外なく、いえますことは、地図が印刷されているということです。私 どもが、観光案内の本を買ってくる。 そこで地図を眺め、折角の旅行 を楽しいものとしたいと思う。あるいは、旅行先の歴史的背景を知りた いと思う。そうやって旅の見通しをつけるのです。 旅の思い出を伺いながら、私が思いましたことは、私どもも、ハイデ ルベルク信仰問答を少しずつ読むにあたり、まず全体を眺め、歴史的 背景を確認し、見通しをつけることは、学びに入っていく前に、大切な ことであるかもしれない、ということでした。従いまして、まずここで少し ハイデルベルク信仰問答そのものについての説明の言葉を記してお こうと思います。 三 『ハイデルベルク信仰問答』の目次を開いてみますと、その全体が、 129の問答からなっていることがわかります。 そして、この129の問 答が、52回の主日(日曜日)に割り割り当てられて、記されていること に気がつかされます。ですから、52回の日曜日を使って、129の問答 をすべて学べるように作られているということです。 52回の日曜日、 と聞いてその意味するところに気がつれた方が、あるかもしれません。 鋭いと思います。 52回の日曜日にどのような意味があるのか。 それ は、日曜日ごとに、このハイデルベルク信仰問答を学んでいきますと、 ちょうど一年間で読み終えるように構成されているということです。 当初、この信仰問答は、幼児洗礼を受け、聖餐にあずかるための 信仰告白を受ける若い人々のために用いられてきました。 しかし、も ともと教会の教育用という目的をもって作られたものですから、 教会 全体の教育のために、つまり受洗・信仰告白の準備のためだけでは なく、受洗後の信仰生活の指導のためにも用いられていくようになっ たのです。ですから、この信仰問答は、教会が、信仰者に知っていて 欲しい神の恵みと慰めが、簡潔に記されている書物といいうるのです。 四 私自身は、この信仰問答について二つの思い出をもっております。 その一つは、この信仰問答との最初の出会いです。 神学生時代の 夏期伝道実習の際に、ハイデルベルク信仰問答の講座を担当いた しました。それがこの信仰問答との忘れられない最初の出会いであ ったのです。 当時は私自身恥ずかしながら、この信仰問答を持ってさえいません でした。全く馴染みがないものであったのです。しかし伝道実習先の 教会員の方々は、ずっとこれを読み進めておられ、親しんでおられる。 そういう意味で大分遅れをとっていることと、初めて読むその書物の 様式に戸惑いを覚えながら、苦労して講座の準備をしたのでした。し かし、同時にその簡潔な様式に詰め込まれた恵みの深さを、講座の 原稿を書き終えて、私は、味わうこととなったのです。 そしてこの信仰問答の二つ目の忘れられない思い出は、私が牧師 となってから、ある学びの会に出席しましたときに、その講師であった 神学者が、ハイデルベルク信仰問答を暗記しておられたということで す。今でもよく覚えています。この神学者は、いつでもハイデルベルク 信仰問答の言葉を思い出しながら、説教の準備をするといっていた のです。大変によく知られた優れた説教者です。しかし、そのような方 でも、いつでもこの信仰の入門的書物に立ち帰るというのです。しか し、それだけに優れた書物であることをまた、私は深く知ることとなっ たのでした。 五 さて少しわき道にそれましたが、『ハイデルベルク信仰問答』の背景 について確認をいたしましょう。 この信仰問答は、カスパール・オレヴィアンとツァカリアス・ウルジヌス という二人の若い神学者の共同の労作です。 1563年11月15日に、 ドイツのハイデルベルクで刊行されました。改革派教会に属するもので あるにも関わらず、最も広く読まれてきた信仰問答であるといわれてい ます。それにはいくつかの理由がありました。宗教改革後、ルター派、 カルヴァン派、ツビングリ派の聖餐論の論争が激しくなり、このような事 態を収拾するために選帝侯フリートリヒ三世に委嘱され、作成されたの で、調停的な意図をもっているということ。また宗教改革の反動により、 教会が堅実な基礎を必要としていた等、改革派の枠を越えて広く用い られる理由が、この問答の作成時にすでに備えられていたということで す。 しかし、以上の歴史的な背景に加え、この信仰問答自体が、聖書に どこまでも則していること、そして基本信条(使徒信条等)に忠実である ことが、時代を超えて、なお教会の教育の為に用いられ続けてきた力と なっているといえるのです。 六 ハイデルベルク信仰問答は、大きく三部にわかれています。 第一部、「人間のみじめさについて」。 第二部「人間の救いについて」。 第三部「感謝について」。 もう少し砕いた言葉で語りますなら、神に背いた人間の悲惨さについ て、そのような神に背いた人間が救われることについて、そして、救わ れた人間の神への感謝の生活について記されているということです。 この三部の具体的な内容は、「使徒信条」、「十戒」、「主の祈り」の学 びとなっています。 七 この『ハイデルベルク信仰問答』の問一は、次のように私どもに、問 うてまいります。 第一主日 問一「生きるにも、死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」 この問いの答えは、私の生きる時の慰めは、これです。私の死ぬとき の慰めは、これです、ということではありません。「生きる時にも、死ぬ 時にも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」ということなのです。 この問いに、どのようにお答えになられるでしょうか。 信仰の学びを共に続けてまいりましょう。 「牧者の手紙」のリストに戻る |
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