日本キリスト教団

   
2023.02.05
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「種を蒔く人」
ルカによる福音書8章
4-15節
  イエス様は、農夫が畑に麦の種を蒔く様子を見られて、種まきのたとえ話を されました。ある農夫が畑に麦の種を蒔きます。すると、それぞれ違うところ に落ちて、その落ちた土地の違いで、種が芽を出したり枯れてしまったりした。 実ったり実らなかったりしたというのです。種の落ちる場所が違い、その後ど うなったかも違ってくる。

 イエス様は、このたとえ話を話された後に、種まきになぞらえて、世の人々 が神の救いに招く言葉、御言葉を聞いて、うまく実るかどうかの違いがあると いうことを言っているのだと言われました。世の中で生活していて、いろいろ な誘惑がある。神様のことを尊ぶ思いを薄くしてしまう。試練に遭う、苦しい 目に遭うと、自分のことしか心を向けることができなくなり、また神様の愛を 疑うようになる。また、世の富、刹那的な快楽、そういうものに目がくらんで、 目に見えるものだけが確かで、今が楽しければいいと思うようになる。神様を 信じることが、めんどくさくなっていく。

 イエス様は群衆を離れて弟子たちに向けて、10節から神の国の秘密という ことを言われました。それは、ある一つのことを気が付いていないと話を聞い ても何のことかわからないというのです。それは神の子であるイエス様がこの 世に来られたから、イエス様がこの世を愛しておられるから、この世はもうす ぐ神の国になるのです。この世には神の愛と神の救いがもたらされていること を信じている、気が付いていると、たとえ話の本当の意味が解るのです。

  イエス様が蒔かれた種が良い土地に落ちるというのは、一人ひとりが神様の 救いがあることをしっかりと信じ、神に愛されていることを信じて生きていく こと。信仰生活を続けていくことです。それは、良い土地に落ちて実りを多く 結ぶ人なのです。条件の悪いほかの土地に落ちた種のように、信じ続けること を辞めてしまわない、諦めない、簡単に身を引かない。神の救いが目の前に来 2 ていると信じ、神の愛によって励まされる人が実りを豊かに結ぶのです。

  使徒パウロは、ローマの信徒への手紙ロマ7章15節以下に「わたしは、自 分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎ん でいることをするからです。」「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を 行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしてい るのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。」と言 っています。パウロは、このような言葉で、私たち人間の罪、人間の不完全さ、 弱さを語ります。私達は、神を信じている時があり、そうかと思えば、信じて いなかったりもします。私達は、信仰と不信仰のはざまに揺れているのです。 けれど、不完全な私たちを救うために、イエス様は十字架にかかりよみがえっ てくださいました。この神様の愛を信じることが、良い土地に落ちること、信 仰の実りを豊かに結ぶことなのです。

 パウロは、私たち人間、信仰と不信仰のはざまに揺れるような不完全なもの が救いに招かれる。このことを説明するのに、私たちの信仰は神様から与えら れるもの、恵みなのだと言っています。

  私達は、自分一人で信仰生活をしているのではありません。自分の力で、救 われるのではありません。私達は、神様と共に、イエス様と共に信仰生活をし ています。自分の力で救われようとしたユダヤ教の救いは、お猿さんの姿にな ぞらえられると言われます。キリスト教の救いは、小さな子猫をお母さん猫が 口にくわえて歩く姿だと言われます。お母さんに加えてもらって小さな子猫は、 お母さん猫が、ちゃんとどこかに運んでくれることだけを信じていればいいの です。

  「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐し て実を結ぶ人たちである。」私達も御言葉を聞き、神の愛を受け取り、神の愛 を信じる気持ちを守り続けて、信じ続けて、救いの日を望んでいきたいと思い ます。



 愛隣こども園
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