神様は、神の民の初めの人アブラハムを選び出し、その子孫をご自分の民、 神の民となさいました。神様はご自分の民に熱い思いを向けておられ、イスラ
エルの民がエジプトで苦しめられているのを知ると、そこから助け出してくだ さいました。9節「地の果て、その隅々から呼び出して」といっているのは、
そのことです。神様は、片時もご自分の民のことを忘れてはいません。ここに、 神様が嘘偽りのない方だということが示されています。ご自分の民に対して、
いつも熱い思いを向け、神の民が苦しみや困難の中にあっても平和になるよう に導いておられるのです。
ヘブライ語「ヘセド」は、決して人を裏切らない、誠実であり続けることを 言う言葉です。預言者ホセアは、繰り返し、神様のヘセドを信じようと人々に 呼びかけました。
神の民は、このイザヤの言葉が語られる50年前に、バビロン帝国と戦争を して負けてしまいました。神の民の何千人何万人という多くの人たちが、捕虜 とされてバビロンに連れていかれました。戦争に負けたということは、神様が 自分たちを見捨てたのではないかという不安な思いにさせました。自分たちは 神様の手から離れて生きていくのだという気持ちになっていったのです。神様 のことを忘れて、心の支えを失い、生きる望みを失い、自分たちは何者なのか という不安定な気持ちにされたのです。
このような神様を忘れたような民に、解放される時が来て、再び故郷に帰る ことができるということが知らされました。ペルシャ帝国によって、ついにバ ビロンは滅ぼされたのです。預言者イザヤは、ペルシャがバビロンを滅ぼした ことは、神様のなしてくださったことだと語りました。神様が神の民のことを 忘れないで、神の民に対してずっと真実な関わりをなし続け、誠実な思いを抱 き続けたから、神様は神の民を助け出されるのです。
14節では、神の民がどんなに苦しめられても、誰も顧みないような「虫け ら」のようにされても、神様は忘れない。どんなに惨めな姿であっても、神様は神の民に誠実、真実であり続けると語り掛けています。
新約の時代になり、イエス・キリストの救いの御業がなされたので、この世 界の全ての人に対して神様は真実に関わりを持たれ、誠実な思いで愛してくだ
さるということが明らかにされました。私達に対して神様は誠実な愛を抱き、 神様の愛する一人と見てくださっています。バビロンに連れていかれた人たち
のように、私たちが神様を疑ったり、忘れたり、信じなくなっても、神様はこ の世のすべてを愛し続けてくださいます。神様の愛は、どんなことがあっても、
変わることがありません。
今日の聖書の言葉を読みながら、この世に、私たちが信頼を寄せるものがあ るのだろうかと思わされました。私達にとって、それは神様です。そして、神
様ほど確かではないけれども、いろんなものや人々を信頼して私達はこの世に 生きています。
最近のニュースで、2年前の東京オリンピックを巡る談合事件のことが良く 報じられています。輝けるスポーツの祭典、世界の平和の祭典、そしてその裏
があった。私は興醒めしています。「やっぱりな」という気持ちの一方で、「何 を信じたらよいのだろう」という気持ちです。今までも、これからも同じよう
なことが起きるのです。この世の中に、これだけは確かでまともで、嘘偽り裏 がなく、どんな時も信用し続けることができるものとは、何なのでしょうか。
イエス様は、神様を忘れた徴税人、財産を頼りにするザアカイの所に来られ ました。ザアカイはイエス様と出会って、神様の愛を思い出しました。それで、 回心しました。神様こそこの世で一番確かであり、心を寄せていくべき方だと いうことに気づかされました。それまでも神様がおられることは知っていたで しょうけれども、「神様はわたしの神様だ」という思いが与えられたので、神 様を信頼して回心したのです。10節「たじろぐな、わたしはあなたの神。わ たしの救いの右の手であなたを支える。」
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