日本キリスト教団

   
2023.03.12
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「十字架を背負う」
ルカによる福音書9章
21-27節
  ケニア人ワンガリー・マータイさんは環境分野の活動を認められて 、200
4年 ノーベル平和賞を受賞しました。日本語の「もったいない」という言葉に
感銘を受け、世界中に「もったいない」を広めようとしていました。「もった
いない」は、物だけでなく私たち人間のこととしても言える の ではないでしょ
うか。 自分自身を粗末にしてしまう「 もったいない生き方 」 をしていませんか。

 イエス様は弟子たちに「十字架を背負う」ことを勧められました。それは、
この箇所のイエス様の言葉によると、 自分自身を大切にするためです。

 自分の命や人生についての考え方は人それです。楽しくつつがなく生きるこ
とが幸せだと思う人がいます 。使命に生きることが幸せだという人がいます。
イエス様は、誰よりも使命に生きた人です。命を捧げ、すり減らして、文字通
り「命を使って」くださいました。イエス様は、神と人を愛する使命に生きる
ように招いておられます。まずイエス様が、その使命に邁進されました。

 「十字架」は、重たいものです。 苦しみを背負うことです。 イエス様は、血
の汗を滴らせて背負われました。多くの人が避けたいと思うことでしょう。そ
うならば、 十字架を背負うようにする 動機づけが必要で す 。イエス様は、自分を大切にするために十字架を背負いましょうと勧めてお られます。
 
 十字架を背負うことは、自分を捨てることです。捨てるとは、自分のためで
はない、人のため、神様のために苦しむということです。そうすることで神と
人のために役に立ったという喜びがあります。

 さらには、 今という時を越えて、終わりの日、神の国が来ることを念頭にお
いて、十字架を背負いましょうと勧めておられます。 27節「 ここに一緒にい
る人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」 と言われる
のは、神の国は弟子たちが死ぬ前に来る、すぐ に 来ると言って おられる のです。

 神の国とは、神様のみ心が全てを 治め、すべての基準となる世界のことです。神様のみ心、神様の愛が、この世界を治め るようになります。そこでは、 神を尊び、愛に生きる人々が神様に認められ尊び、愛に生きる人々が神様に認められますます。。それで、今、十字架を背負うとそれで、今、十字架を背負うということは、神の国いうことは、神の国が既にが既に来ている来ているように思って振舞うということです。ように思って振舞うということです。そうそうすれば、すれば、神の国が来た時、神の国で最も尊ばれていることを行ってきた人たち神の国が来た時、神の国で最も尊ばれていることを行ってきた人たちだと認められてだと認められて祝福されるのです。祝福されるのです。このように信じて、このように信じて、自分自分の人生の人生を大切を大切にすにするために十字架を背負いましょうと勧めておられるのです。るために十字架を背負いましょうと勧めておられるのです。詩編56編は神に詩編56編は神に向かって歌います。「向かって歌います。「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずですあなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。・・・。・・・あなあなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。たの革袋にわたしの涙を蓄えてください。」(9節)

 十字架を背負うこと、神と人を愛 して重荷を背負うことは、 やればやるほど
苦しくなります。 神と人への 愛 が深いほど 苦しみは増していくでしょう。イエ
ス様は神のため、私たちのために愛を示し、苦しんでくださいました。私達は
どうしてもイエス様のように強く離れませんから、十字架を背負う動機は、自
分のためであるのが精一杯です。イエス様の愛の深さに感謝します。
 
 この箇所でイエス様は、一人ひ とりの生きるための 心がけとして、そして、
神の国が来た時のことを思いつつ十字架を背負うことを勧めています。つまり、イエス様は、 神の国が来ることを、 明日が来ることを信じているのです。希望があるのです。だから、十字架を背負うのです。神様が、私達の振る舞いをいつも見ていてくださり、神の国に迎えて 豊かに祝福して くださ います 。 その時を信じて、今、 十字架を背負いませんかと、イエス様が招いています。

 
 愛隣こども園
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