イエスは「ぶどう園と農夫」のたとえを話された。ぶどう園の主人が農夫にぶどう園の世話を託して長期間の不在となった。ぶどう園の収穫を治めさせるために主人の僕が3回遣わされるが、どの僕も袋叩きにされ追い返された。主人は自分の息子を遣わしたが、殺されてしまった。このたとえ話の主人は神様息子はイエス、農夫はユダヤの人々のこと。ユダヤの歴史、神との関わりを振り返り、イエスはユダヤの人々が神の遣わした人(預言者)を苦しめたり、神様に反抗的だったことを語られた。息子が殺されるというのは、イエスが十字架にかけられることを
予告している。
このたとえ話を読んで、ボタンの掛け違えということを思う。最初が間違っていると、最後までずっと間違ったままということがある。主人は農夫を信用しているが、農夫は主人に反抗的で
す 。 主人の思いが農夫たちに届か ず、悲劇が繰り返されるのは、農夫たちが 主人 神) を尊ぶ思いを持っていないからです。
神様はこの世界を創造された、世界の主です。私達をお造りになった創造主です。私達は、神様によって造られた被造物です。このような最初にあるべきことが意識されていないので、ぶどう園の主人の僕や息子がないがしろにされるという悲劇が起こっているのです。
最初のことを忘れて、 農夫たち(当時のユダヤの指導者)は、自分 利益やプライド)にこだわって 失敗しているのです 。
この世界の最初のこと、この世界で一番初めにあることは、神様であり、神の愛です。神はこの世界を愛するために創造されました。ユダヤの人々は律法を守ることを求め、それがために、弱い人々が苦しめられてきましたが、ユダヤの十戒や律法より前に、すべての初めに神の愛があります。最初にあることを思い出すべきです。私達は何を大事にするべきでしょうか。
この社会の中で、さまざまな集 団、団体がありますが、その最初に心すべきことを忘れていると、様々な悲しい事故や事件が起きてしまいます。 20年前の
鉄道事故 で大勢の人が命を落とし 、時間に追われる便利さよりも、安全の大切さを思い出しま した 。 ボタンの掛け違えは、あとからは、なかなか正しにくいものです。
このたとえ話は、 私達が身を置く集団において、何が最初に心すべきことなのかを、 今、思い出すようにと促している と思います。
「神」が永遠の「初め」におられ、「 神の愛 」 が全ての初めにあり ます。私達 一人一人 が、 神に愛されて生かされています。 そして、 神に愛さ
れているあの人、この人と共に、私たちは生きています。
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