日本キリスト教団

   
2023.05.07
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
豊かな歩みのために
ヨハネによる福音書
15章 12-17節
 5年前、神学部の先輩が若くして病死し、京都の教会での葬儀に参列した。とても親切で分け隔てなく人に接する人柄 だったので 、多くの人が別れを惜しんだ。代表の3人が別れの言葉を語った。3人とも、先輩からとても親切にしてもらったことに感謝すること、もう会えなくなったので恩返しができなくなったことが辛いと語った。

 3人目の人が、恩返しができなくて辛いと同じように語りながらも、 先輩から 受けた 愛を先輩に は 返せないので、 だから 隣人たちに愛を向けていきたいと語った。「そうだよな!」と私は心の中で 大いに 賛同した。そして、イエスが隣人を愛しなさいと教えられたのは、こういうことだったのだと気が付いた。後日、ある本に恩返しができないので、別の人、 周りの人に恩を向けることを「恩送り」と言うことを見つけた。私たちはイエスから愛を受け、そ の愛 を私達 が 隣人に向ける、隣人を愛する のだ 。 つまり、 イエスは「恩送り」を勧めてい た のだ。

 16節「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、 ・・・」とある。イエスは、これから十字架にかかり、弟子たちのもとからいなくなる。 けれど、 弟子たちは互いに愛し合い、イエスというぶどうの木の「実 」 を結 ぶのだ 。イエスは、ここで「実を結ぶ」だけでなく「実が残るように」と言っている。 最期の日を前にして、イエスは 互いに愛し合う ことが弟子達で終わらないで、これから後もずっと続くことを願っておられる。私達は親の愛を受けて 感謝し、 それで 親から受けた愛を子へと向けていく。恩返し、恩送りをして、私 達 の愛は 世代から世代へと 続いていく。そして、親子だけでなく、ぶどうの木、その枝、教会の交わりにおいても愛は続いていく。

 イエスは弟子たちを「友」と呼ばれる。イエスの思いをすべて知っている人を、イエスは 「 友 」 と呼ばれる。イエスの思い、御心をすべて知っている人は、イエスの言われるように互いに愛し合うのであり、その人の祈り求めることはすべての人への愛に裏付けられているし、 すべて神の目にかなうので、何 で も求める物は与えられるのだ。

 そして、イエスの思いをすべて知っていることも、求める物を与えられるこ

とも、私 達 にとって最も 善い ことだ。そのような人になるように、イエスが私たちを選んだと いう 。 私達の思いより先にイエスの私達への とても大きな 愛があった。

 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、 ・・・ 御子を お遣わしになりました。ここに愛があります。 」(Ⅰヨハネの手紙4:10)


 
 愛隣こども園
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