ヨハネ福音書はその初めに「初めに言があった」(1:1)、「まことの光が」(1:9)世に来てすべての人を照らすという。これは、神の遣わされた救い主イエスのこと
であり、 どのような救い主なのかを2章以下に 記している 。
ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスとその母はそこにいた。この当時の婚礼は7日間続いた。多く料理を準備しなければならなかった。案の定、ぶどう酒がなくなった。イエスは、その場にあった水がめに水を入れるように命じられ、その水をぶどう酒に変えてくださった。水がめは1つ2-3メトレテス、0-120ℓ、これが6つあった。大量の水がぶどう酒になった。ぶどう酒が無くなれば婚礼の宴は終わり、喜びの時は終わってしまう。しかし、イエスが共におられるので、喜びの時は続いていく。
6つの水かめとは、ユダヤの律法で命じられている 、穢れを落とすために清めの水を入れる物。イエスは、この水がめの水をぶどう酒に変えたのだから、清めはしなくても良いということでもある。そして、イエスはとても大量のぶどう酒、
救いの 喜びをもたらされた。「 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 」(1:16)
イエスは十字架にかかり、救いの恵みをもたらされた。イエスの十字架に救いを見出し、イエスこそ救い主と信じるだけで良いのだ。一方で、律法を守って喜びを得る人もいる。しかし、それは律法を守ることができる時だけのことだ。人間
には限界があり、自分の力ではどうにもならなくなる時がある。しかし、イエスを信じるなら、私達に救いの喜びがあり、喜びは続く。日々の暮らしの中ではいつも喜んでいることができない私達だが、イエスは私達の悲しみ不安恐れをご存知だし、慈しみをもって良きはからいをなしてくださる。私達には悲しみより深い喜びがある。
宴の世話役はイエスのもたらしたぶどう酒をほめ 、 花婿に「 あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。 」と言う。 今までになく、今までで最も良いものだと言う。イエスは待ち望まれた救い主なのだ。
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