ユダヤ人ニコデモが、イエスのもとを訪ねた。ニコデモは、イエスに対する敬意を表し語りかけた。 イエスを「教師」と呼び、神から遣わされた人であり、数々の奇跡は神からのしるしだと認めると言う。
イエスはニコデモに問いかける。私(イエス)のことを良く知っているように言うが、本当なのか。「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3節)ということを理解しているはずだと
問う 。ニコデモは、イエスの言葉に心の底から当惑した。「新たに生まれる」ということは、まったく予想していない問いかけだった。
「新しく生まれる」ということは、どういうことだろうか。「新しく」は「上から」、天高くにおられる神の力で 、聖霊の働きかけによって という意味だ。
聖霊が働きかけて、 イエスが十字架にかかり救いをもたらされたと 信じる人、イエスの十字架の救いを神のみ心を信じる人が、新たに生まれた人なのだ。
1章12節以下には、「言 (ことば は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
」と記されている。
イエスは、ニコデモに聖霊の話をする。聖霊は、聖書の言葉では、目に見えない「息」であり、「風」でもある。「風は思いのままに吹く」と言われる。
聖霊の働き方は 私たち人間の理屈によってわかるものではなく、 人の思いを越えて、何に妨げられることもなく全く自由に働くものだ。時には、世を騒がせた大悪人にも働き回心させてしまう。
イエスからの問いかけは、ニコデモは、一人のユダヤ人として、またユダヤ
の議員の一人として、ユダヤの律法にこだわりすぎている 、神の本当のみこころを見失っている という指摘 でもある 。律法とは、つまり、 人の欲による、人の欲を満たすために守るものであり、さらには、人の
過去や今この時に 律法を守って正しい人が神に喜ばれると して 過去や今だけに目を留める。しかし、信じるとはどういうことだろうか。聖霊、神の力、
風は思いのままに吹く。誰に吹きかけるのかは全く自由。今までは問題ではなく、これから救われるためだ。人が救われる、イエスを信じるということは、これからのことなのだ。イエスは、神の自由な働きを信じて、律法に束縛されて不自由な生き方を辞めないかと促しているのだ。
イエスは、私達がいつも「新しく生まれる」ために 、 すべての人が イエスを信じ るようにと、 救 われるようにと自由に 働きかけておられる。今日は、こどもの日花の日。こどもを祝福する日(11月)ではなく、大人が子どもの養育の大切さを覚える日。誰もがこの世の束縛の中に身を置くのだが、子どもたちに自由な未来がありますように祈りたい。
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