イエスは、ご自分のことを羊飼いだと言われた。今日の箇所では、イエスが、イエスを信じる人々にとって真の羊飼いだと語っておられる。詩編23編のように、羊飼いは羊を草
地や 水辺に連れて行き羊を養う。命を顧みずに羊を守る。羊は中近東、西欧では馴染み深い動物だが、日本でも羊の牧場があり、羊飼いがいる。羊飼いの心がけは、羊の具合を心に留めていること、草と土の状態をよく見ていることだという。羊のために毎日神経をとがらせ心を砕いているという。まさに羊に仕えている人だ。イエスのことを羊飼いというのはぴったりだと思う。
今日の箇所には、 「 羊が羊飼いを知っている 」 ということが書かれている。羊は羊飼いの声を聞き分けるので、他の人にはついていかない。盗人の言うことは聞かないという。
羊、 つまり、 イエスを信じる人たちは、他の誰にもついて行かないで、イエスにだけついていくのだ。羊飼いが羊を知り、反対に羊が羊飼いを知っている。イエスは、この関係を喜んでおられる。
このヨハネによる福音書が書かれたのは、90年頃だと言われている。キリスト教が始まってからこの頃までは、イエスを救い主と信じる人も、もともとのユダヤ教のメンバーとみなされていたが、90年頃になると、明確に
イエを信じる人はユダヤ教ではないという区別がなされるようになった。交わりから追い出されたり、追い出したりということがあり、またイエスを信じる
か否かを問い詰められることもあった。
こういう時代に、この箇所を読む人は、「 イエスについていくこの私のことを 、 イエスは喜んでくださっている 」 と思い、いよいよイエスとの絆を深めたことだろう。イエスは羊飼い、私はイエスの羊である。この信頼に満ちた関係を我が事としていただろう。
弟子のペトロは、どこまでもイエスについてくと言ったが、イエスを裏切ってしまった。そして、鶏が泣いた時、我が身の不甲斐なさに大いに泣いた。イエスがよみがえり、自分の罪が赦されていることを知り、イエスとの絆を
いよいよ 深 くした 。イエスの愛は変わ ることがない。愛の大きさを信じて行こう。
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