最期の晩餐の時、イエスは弟子たちをこの世に遺していくことを思い、弟子 たちに知っておいてほしいと思うことを語られた。13章34節では「あなた
がたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。」と言われ、このことは今 日の初めの言葉、15節に続いている。「あなたがたは、わたしを愛している
ならば、わたしの掟を守る。」イエスは、弟子たちが互いに愛し合う交わりを なすことを希望し、そのようにしてくれると信じておられた。
イエスは言われる。互いに愛し合う交わりに、弁護者が遣わされ、真理の霊 が注がれる。つまり、互いに愛し合う交わりに聖霊が注がれ、神様が共にいて
くださる。これと同じことが、ヨハネの手紙Ⅰ4章12節には「いまだかつて 神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたち
の内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているので す。」と言われている。
互いに愛し合う交わりに神が共におられ、さらに互いに愛し合うことを励ま してくださる。この時、イエスは弟子たちを遺していくのだが、弟子たちの交
わりを神様に託し、その平和を願い、善き働き、善き人生を願われる。
そして、神の霊が共にあるだけでなく、イエスはよみがえり、イエスも交わ りと共におられるようになる。弟子たちは、イエスのよみがえりという出来事
からイエスの愛と赦しを知らされる。そして、弟子たちは、日毎に愛と赦しに 励まされて、救いに招かれて恵み豊かな善き人生を生きることができるように
なる。このような人々は、決してひとりぼっち(18節「みなしご」)ではな い。ヨハネ福音書が書かれた時代の、イエスへの信仰を理解されない人々にと
って、このイエスの言葉はどれほど慰めと励ましに満ちていたことだろうか。
16節には、「弁護者」(パラクレートス)が遣わされると言われている。神 の霊が一人ひとりの傍らに立ち、一人一人の思いを代弁し、慰め励ましてくだ さるというのだ。人生の厳しい側面にある時も、このイエスの言葉を信じ、神 様の慈しみを受け取り、励みとしたい。
|