日本キリスト教団

   
2023.10.22
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「救いの完成」
ヨハネによる福音書
19章28-30節
 イエスは十字架にかけられて苦しみ、「渇く」と言われた。十字架にかけら れる人はのどの渇きを覚え、そのために長いヒソプ(葦)の棒が用意され、ブ ドウ酒を含ませた海面を差し出した。イエスは、激しく渇きを覚えた。これ以 上にないほどに人々から苦しめられた人の言葉、詩編22編16節が成就した。 イエスはまるで、体から一切を搾り取られたかのようになられた。

 そして、もう一言、「成し遂げられた」と言われた。ギリシャ語で、テレオ ー。「終わった」という意味。イエスの命、人生は終わった。イエスは無理解 な人々の中に歩まれ、十字架に苦しみ、すべてを神にささげ尽くした。

 さらに、テレオーは、ここの訳のように「成し遂げられた」という意味。一 切を神にささげ、神の御子イエスが無となった。ここに、神の救いの御業が始 まる。神の御子が世の人々の救いのために一切を捧げ無となることが神の御心 だった。神の御心通りに、イエスは無となった。ここに神の救いは成し遂げら れた。十字架で「渇き」、無となった神の御子イエスによって、世の人々の救 いは完成した。

  旧約聖書では、預言者イザヤは、ユダヤの人々に神を信じて確かにされるよ うにと訴えた。強大なアッシリア帝国に攻められて、ユダの支配者はエジプト の軍隊の力に頼った。けれど、預言者は中立を貫くべきだとした。ユダヤの国 が全滅したとしても、神は新しいことを始められるのだから、信じて耐え抜こ うと訴えた。そして、ユダヤの国が滅んだ後、神を信じ続けたわずかな人々に よって神の民の新しい歩みが始められた。

  イエスは神の子として、世の人々、私たちのために苦しんでくださった。こ のイエスの十字架によって、罪人に救いがもたらされた。旧約の人々は、自ら 苦しみ、多くを奪われたが、私たちには、イエスが変わって苦しんでくださっ た。私達が苦しまなくても良いように、神の御子としてイエスは苦しみを引き 受けてくださった。私達に代わって神の御子イエスが苦しむことが、私たちの 救いとなったことを改めて覚えたい。

  マタイ福音書18章には、「仲間を赦さない家来の譬え」がある。1万タラ ントンの借金を赦された家来が、人に貸した1タラント運の借金を赦さず、借 金した人を牢に入れたという譬えだ。1タラントンは1デナリオンの6000 0倍。6000万円(20年分の給料)を赦されても、1万円をゆるさない。 ほんの小さなことにこだわり人を赦さず、それ程に自分自身に思いを向けるづ ける人間のあり様を語っている。私達は、無となることは無理なのではないか と思える。それがゆえに、神の御子イエスがおられることの幸い、喜び、希望 を思う。

  イエスは「終わった」と言われた。イエスが終わったので、私たちの救いが 始まった。神は罪人を顧みてくださり、私たちがみもとに行く時、私たちを贖 ってくださる。一つひとつの人生を喜び、大きな意味のあるものにしてくださ る。救いは完成する。

 愛隣こども園
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