日本キリスト教団

   
2023.12.03
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
「身に余る恵み」
創世記12章1-9節
 今日からアドベント(待降節)。神様がこの世界の救い(祝福)を願ってお られること、救いに導くためにみ業をなしてくださることを覚えたい。

  創世記12章から、アブラハムの物語が始まる。神は、父の家族と共にカル デアのウルを出て放浪し、ハランに来たアブラハムを呼び出された。神はアブ ラハムを祝福し、アブラハムはすべての氏族、多くの国民の祝福の源になると 言われた。神に導かれ、神と共にある歩みが始まった。この世界に神の祝福、 善いみこころを現わし、この世界を変えていくことが期待された。神に呼ばれ て従うアブラハムの信仰を神は喜ばれた。

  アブラハムの歩みは、決して平たんではなかった。苦難、失意の時があり、 息子を失いそうにもなった。しかし、信仰を捨てなかった。信仰の父と呼ばれ る。神の民イスラエル、ユダヤが、この人から始まった。

  使徒パウロはユダヤ人であり、イエスを救い主と信じた。しかし、多くのユ ダヤ人はイエスを信じなかったので、パウロは深く嘆いた(ローマの信徒への 手紙9章)。ユダヤの人々がイエスを救い主と信じる日が、必ず来ると信じて 待つと言う。さらに、血のつながりによってユダヤ人はアブラハムの子孫だが、 それだけではなく信仰によって信じる人すべてがアブラハムの子孫であり、こ れが本物のアブラハムの子孫だと言う。

  そして、ローマの信徒への手紙4章では、神様がアブラハムの信仰を認めた (義とした)時、アブラハムは律法(十戒)をまだ授けられていなかったとし、 神は律法を守ることに関わらず、信じる人を喜ばれるとする。アブラハムは、 信じる人の父。模範。そして、アブラハムがその信仰によって祝福の源である のだから、神を信じる私たちも祝福の源となっているのだ。

  神の祝福はこの世に生きる人々、私たちによって、信じる人によって現わさ れていく。神はアブラハムを必要とされた。そして、アブラハムに連なる私た ちを通して、この世界に祝福がもたらされることを願っておられる。

  救い主イエスは、再びこの世に現れる。待降節になり、再び来られる日を待 つ。その日を信じて、神と人を愛して歩もう。

 愛隣こども園
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