マタイ福音書2章で、イエスがベツレヘムにお生まれになった時、東からの 博士たちがユダヤの王宮を訪ね、新しい王の誕生を知らせ、その場所を問いか
けた。その相手は、ヘロデ王だった。今日の箇所、マルコ福音書6章のヘロデ 王は、そのヘロデ王の実の息子であるヘロデ・アンティパスのこと。聖書は、
父も息子も、どちらもヘロデ王と記している。
イエスの弟子たちが、伝道に派遣される。そして、伝道から戻った弟子たち の報告がなされる。この2つの話の間に挟まれたようにして、ヘロデ王のこと
が記されている。これは、何を意図しているのだろうか。
息子であるヘロデ王(アンティパス)は、イエスのうわさを聞いて、自分が 殺した洗礼者ヨハネが生き返ったとみなした。洗礼者ヨハネは、ヘロデ王とへ
ロディアの結婚を倫理に反すると諫めた。ヘロデ王は、洗礼者ヨハネを捕らえ るが、「ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、ま
た、その教えを聞いて・・・喜んで耳を傾けていた」というのだから、ヨハネ を殺してしまったことを後ろめたい気持ちで覚えていたのだ。
ヘロデ王が洗礼者ヨハネを恐れたことは見逃すことはできないし、彼の神 (ヨハネ)への敬意を掛け替えのないものと思う。しかし、そんなヘロデ王の
神に対する正しいあり様(信仰)も、妻へロディアの憎しみを止めることはで きなかった。
そして、ヨハネを殺すことをとどめられなかった、このヘロデ王の姿は、誰 かに似ている。イエスを裁判で無罪としながらも民衆の勢いに押されて、自分
の心に蓋をしてイエスを十字架へと追いやった、あの優柔不断な総督ピラトに 似ている。
つまり、洗礼者ヨハネも、イエスもそうだったように、神から遣わされた人、 神のみ心を示す人を、世に伝道に派遣される弟子たちすらも、この世は苦しめ
て、ついにはなきものにしてしまうものだということを、マルコ6章のヘロデ 王の故事は読者に語りかけているのだ。ヘロデ王の故事は、これからイエスを
裁く総督ピラトのことを予告していたのだ。
この世とは、どういう場所なのか。ヘロデ王が、総督ピラトが、神を追い出 してしまう。人々の欲望、自分中心の思いが力を得ている。自分一人の安楽の
ために真実や信仰は軽んじられていく。待降節を迎えて、改めてこの世界の暗 闇であることを思う。この闇の世界に救い主が来られたことの意味の大きいこ
とを覚えたい。
マタイ福音書2章で、父・ヘロデ王は新しい王の出現に怒り、2歳以下の赤 子を殺した。この聖書の言葉を、今年の NCC(日本キリスト教協議会)のク
リスマス献金を呼びかけるチラシに掲げられていた。今、イスラエルがガザの 子どもたちを殺していく。戦争、虐殺は耐えることがない。人々の目に見えな
い憎しみとその連鎖を覚えても、なお神様の力を信じて献金を呼びかける人が いる、これに応える人々がいる。
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