今日の聖書の箇所に、救い主イエスの父親になるヨセフが、その決心をする までの経緯が記されている。ヨセフとマリアは婚約していた。正式な結婚では
ないが、将来を約束し合っていた。ヨセフはマリアが身ごもったことを知り、 マリアの不貞を疑う。しかし、最大の優しさを現し、マリアの身を案じて表ざ
たにしないで離縁することを決心する。この当時、不貞を働いた人は石投げの 刑、死刑だった。
このヨセフの判断は、正しい人、律法を尊び神に従う人だから、このような 判断を下したという。しかし、この判断は完ぺきではない。ヨセフは正しくあ
り続けるとしても、死刑は逃れたとしてもマリアとその子は路頭に迷うことに なる。この当時、女性は一人では生きていけなかった。正しさを貫こうとする
と、重荷を負う人がいる。
このようなヨセフに、神が語りかけた。マリアが身ごもったことは、人間の 世に起こることの中で、稀に見る特別なこと、神の特別な計らいによることだ
ということを知らせた。神は夢で、マリアが身ごもったことは神のはからい、 聖霊によることであると告げ、マリアの子は世の人の罪を贖う救い主だと知ら
せた。その子の名は、イエス(ヘブル語でヨシュア、神は救い)と名付けるよ うにと告げた。つまり、神が罪人に近づき、罪を贖うという。神はこの世の罪
人と共にあるのだという。
ヨセフは決心した。神のはからいを尊重すること、身重のマリアとその子を 受け容れること。世の人はマリアの不貞を疑い理解しないだろう。しかし、そ
の重荷を共に背負うことを決心した。マリアとその子を愛し抜く決心をした。
そして、何よりも、神様の決心をヨセフは尊重した。神様はこの世に救い主 をお遣わしになる。それは、この世の人、神に背く罪人と共に神様が共にいて
2 くださることを神様が決心しているということだ。この世に対する神様の決心、 この世を救おうという神の愛と決心を、ヨセフは最大限に受け止めたのだ。そ
のための重荷も引き受けるのだ。
このヨセフの姿は、受胎告知のマリアの姿を思い出させる。救い主の母親に なるという神のみ心をマリアは尊び、自らの身に引き受けた。マリアの身をも
っての決心があった。
預言者イザヤの言葉を引用して、マタイ福音書の著者は、救い主がこの世に 生まれ出ることを「インマヌエル」神は我々と共にありということが起こった
とする。そして、インマヌエルは、マリアとその子と共に歩むヨセフの身にも 起こっているという。神はヨセフと共におられる。ヨセフは正しい人だった。
神と共に決心をした。身重のマリアを愛する人だった。
ヨセフの身に起こったことは、救い主が誕生する時の神の特別の導きによる ことだったのであり、私たちにとって、神のみ心を知ることは難しい。聖書は、
イエスが教えるように、神のみ心は、私たちが神を愛し隣人を愛することだと 言う。ヨセフはその身をもって神と隣人を愛する道を選んだのだ。神は、神を
愛し隣人を愛する人と共にいてくださる。
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