日本キリスト教団

 
 
2024.05.05
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『神の愛を証しする人』
フィリピの信徒への手紙
2章25-30節

 使徒パウロは、フィリピに教会を建て、その関係はとても良好だった。フィリピ教 会から贈り物をし、そのお礼状を使者エパフロディトに持たせて帰らせた。エパフロ ディトはフィリピ教会を代表する使者であり、獄中にあって不自由なパウロの働きの 手伝いをするためにパウロのもとに送られた。

  エパフロディトは、思いがけないことに瀕死の重病になるのですが、無事回復して フィリピ教会に帰ることになりました。今日の聖書の箇所で、パウロは、エパフロデ ィトを兄弟として何事もなく迎えるように勧めています。もちろん、フィリピ教会の 人々は、パウロの配慮がなくても、エパフロディトをよくやったと言って迎えたと思 われますが、ここはパウロが配慮の人だったことを思わせる箇所だと思います。

  常識的な考えでも、病気になるということは誰のせいでもなく、命にかかわるよう なことであれば尚のこと、病気になった人を責めることはしない。そして、本人の思 いは、旅先で病気になってしまえば足手まといだろうと申し訳なく思い、健康管理の 行き届かない自らを悔いることだろう。一日も早く回復するように努力するだろう。

  このエパフロディトに似たようなことを、出先で病気になることを私も経験しまし た。とても肩身の狭いものでした。神学部卒業前の実習先の教会で、あと数日で実習 が終わるという頃になって、思いがけず高熱にうなされた。教会の方々が病院に連れ て行ってくださり、温かく見守ってくださり、感謝しきりです。神様のためにしっか りやらねばという思いにさせられました。

 パウロは、エパフロディトのことをどのように見ていたのでしょうか。「彼はわたし の兄弟」(25節)と言っています。パウロにとって、何よりも同じ主を信じている兄 弟、キリストの名のもとにある教会のメンバーの一人なのです。だから、常識的な配 慮をするだけでなく、キリストに愛されている人として、そういう者同士として見て います。

  さらには、神様に病気、弱さを顧みられ、キリストによって癒されたという、神の 愛を証しする人なのです。決して足手まといではなく、かえって神の素晴らしさ、そ の慈しみを見せてくれた尊い存在なのです。もしも信仰の世界でないのなら、神様が いないのなら、このようには言えないでしょう。

  「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの 業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。」(30節)と言い、すべてはキリスト の名による、キリストのもとにある交わりの中で起こったことだとみています。

 それでパウロは、フィリピの教会の人々も誰もがキリストのために役立ちたいと思 っていることを知っているので、エパフロディトはあなたがたの代わりに「あなたが たのできない分」を働いた人、病気になるほどに尽くした人だとエパフロディトを見 ています。エパフロディトの働きは、パウロのため、しかし、ひいてはキリストのた めです。エパフロディトは、キリストのために、キリストの交わりの中にあって働い たのです。キリストへの深い思いを表しました。それで、パウロは彼を敬ってほしい というのです。主に結ばれている者として大いに歓迎してほしいと言うのです。

  もしエパフロディトがキリストの教会から派遣されたのではないとしたら、パウロ もこのようには言わなかったことでしょう。キリストの名による交わり、教会に身を 置いて、キリストを尊ぶことがまずあって、それを忘れてはいけないということを教 えてくれる手紙の言葉だと思います。ひいては、私たちがどのような心がけをもって 教会の交わりを作っていくのか、神様のみ栄え、素晴らしさを現わしていくか、とい うことを示唆してくれていると思います。

  「1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”によ る交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、 心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3 何事も利己心 や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考 え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。5 互いにこ のことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」パウロの教 会の交わりに向ける思いは、この言葉に込められていると思います。

 愛隣こども園
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