古代エジプトでは、犬は神からの使者とされ王様と共に埋葬されています。古代ギリシ ャ・ローマでは、犬は神話に多数登場します。人を救ったという話もあります。では、聖
書の地ユダヤではどうだったでしょうか。
私の家にペットの犬がいます。食事の時、ご飯を分けろとせがみます。犬と一緒に過ご している私は、今日の箇所を読んで、この母親にとって犬は身近だったのだと思います。
この当時、ユダヤでは、律法の定めによって犬は汚れた存在でした。犬とは、誰にも世話 をしてもらえない野良犬のこと、ハイエナのようなどう猛な印象もあったのでしょう。
ユダヤの人々には、犬は身近な存在ではありませんでした。イエスは母親に、食卓での 小犬のことを例にとってはなされましたが、小犬もパンくずを食べるとは、母親の返答に
虚を突かれたように思われたかもしれません。異邦人には犬は身近でしたから、イエスの 拒絶の言葉すら乗り越えることができました。いつもの食卓の光景を思い出すので十分だ
ったのです。
旧約聖書のヨナ書には、ヨナが異邦人の町ニネベに言って裁きを呼びかけますが、ニネ ベの人々はすぐに回心しました。ヨナは異邦人の回心は不可能と高をくくっていましたし、
神に従順な異邦人のあり様を快く思えませんでした。けれど、神様は一本のトウゴマの木 を枯らすことによって、たった一本の木の命を惜しむヨナに、すべての命に向けられる神
様の慈しみを悟らせました。ユダヤ人を優先させ、異邦人を見下している、当時の偏狭な ユダヤの人々への警告です。
この箇所でイエス様は異邦人への救いを差し控えていますが、この箇所のイエスの姿は すべてに慈しみを向ける理想像とかけ離れていて、聖書の謎の一つと言われています。あ
る註解書には、命を慈しむこの母親の返答を聞いて、イエス様はユダヤ人を優先する意識 を改めたと書いています。ユダヤ人を優先し、異邦人を後回しにすることの愚かさを知る
ことになったのだというのです。
イエスは母親の信仰を試されましたが、母親は命への慈しみの心を持ち、試みを乗り越 えることができました。そして、この母親の抱く命への慈しみの心こそ、イエスの喜ぶこ
となのです。
すべての命への慈しみは、神様が生き物をお造りになった初めから、すべての初めにあ ることです。神様から戴いた命を活かし用い、命をもって生きる喜びを抱いてきましょう。
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