日本キリスト教団

 
 
2024.06.16
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『あなたを尊ぶ』
マルコによる福音書
5章25-34節

 ある女の人が長血を患って12年間苦しんでいた。当時、この病気を患う人 は律法により穢れた人とみなされていた。人々から避けられ、交わりから離れ ていた。病を患いつつ、孤独と絶望のどん底に突き落とされていた。

 イエスのことを聞いて、群衆の中のイエスに近づき、その衣の房にそっと触 れた。穢れた人と見られていることを思うと、堂々と正面から近づくことはで きなかった。これが精一杯だった。すると、イエスの力がこの人に満たされ、 病は癒された。

 方や、イエスは、自分に触れた人は誰かと周囲を捜した。ほんの少し衣の房 に触れるだけのことだったが、イエスを信じる人には大きな出来事が生じ、ま た、イエスもその人との関わりを大切になさろうとする。この人がイエスを信 じることが、取るに足りない関わりでも、大きな救いの出来事になる。

 イエスは、衣に触れた人が誰でもよいとは思われない。誰なのか、その人と の人格的な関わりを持とうとされる。どこかの誰かというのではなく、あなた と私という関わりを大事にされる。イエスは、「あなた」に顔を向け、「あなた」 を心に覚え、「あなた」と向き合い、救いへと導かれる。

  振り返れば、衣の房に触れるというほんの小さな関わりでも、この女の人に は全存在をかけた関わりだった。そして、イエスはこの人との人格同士の関わ りを作られた。私たちとイエスのとの関わりは、どうだろうか。気分の良い時 だけの信仰、心情的な、情緒的な、頭の中だけの理屈上の救いや、観念的な関 わりになっていないだろうか。

 イエスはこの女の人に「娘よ」と呼び掛ける。穢れた人として人々から遠ざ けられた生活の中で、誰かから呼びかけられたことがあっただろうか。しかも、 若い人「娘」と呼ばれるのは、患い続けた12年間を取り戻すように思えたの ではないだろうか。イエスに出会い、病を癒され、力を与えられて、新しくさ れて歩み出していく。人々から汚れているとみなされていた人は、神に愛され 祝福され、永遠に神の懐の内に招かれた。

「ヤコブよ、あなたを創造された主はイスラエルよ、あなたを造られた主は 今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。」「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしは あなたを愛」する(イザヤ書43章)

  「イエスは言われた。・・・・もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、こ の山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。 あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ17:20) 「イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示 そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のど んな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の 陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(マルコ4:31-32

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