日本キリスト教団

 
 
2024.06.30
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『先回りするイエス』
ルカによる福音書
19章1-11節

 イエスがおられた頃のユダヤの国は、ローマ帝国の支配下にありました。ロ ーマ帝国は、人頭税を集める徴税人を雇い、その頭がザアカイという人でした。 ユダヤの人々にとってローマ帝国は異教の国、神を知らない民の国ですから、 不浄な民とみなしていました。そんな民に支配され、徴税人として働くことは 快くないことでした。徴税人たちは、人々の蔑みの対象でした。

 しかも、徴税人は納税を隠れ蓑にして、法外な金額を吹っかけて懐を肥やし ていました。いよいよ人々の反感は募るばかりでした。人々の反感を知りなが らも意に介さず、効率よく高い税率で税金を集める人が徴税人の頭になりまし た。ザアカイはそういう人でした。ザアカイは2節「金持ちであった」と言わ れていますが、人並みではない貯蓄をした人、富豪とも言えるような人でした。 たぶん、立派な御殿を建てて住んでいたことでしょう。悪名高く、どの人にも ザアカイという名はよく知られていたことでしょう。

  ザアカイは、イエスがエリコの町に来た時、イエスに会いたいと熱望しまし た。イエスに会いに行きますが、大勢の人々が取り囲み、イエスの姿は見えま せん。ザアカイは背が低く、イエスが通り過ぎる姿をイチジク桑に登って見よ うとしました。ザアカイは、徴税人としての名声を手に入れ、たくさんの財産 を得て、立身出世をなしました。これで一生を成したかのように思っていたこ とでしょう。しかし、彼の心、魂は満たされなかったのでしょう。名声や富で 満たすのではない、人間の異なる側面、霊的な平安を求めたのでしょう。イエ スを見たいと必死になって木に登ったザアカイの姿は、立派な求道の姿だった と思います。

 木の上のザアカイの目にイエスが見えました。そして、木の下からイエスは 呼びかけました。5節「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあな 2 たの家に泊まりたい。」(5節)ザアカイの名は悪名高く、イエスも知るところ だったでしょう。イエスは一つの確かな思いを抱いて、大きな罪を犯している 人のもとにイエスは訪ねられました。罪人と親しくなさいました。

 イエスとの交わりを得て、ザアカイは回心しました。当時のペナルティ以上 の金額を、だまし取った人々にお返しすると約束しました。イエスの愛は、し っかりとザアカイを捕らえました。

  ザアカイは救われました。ザアカイは必死に木に登り、イエスが近づいてく るのを待ちました。ザアカイはイエスの先回りをしました。しかし、その時す でにザアカイはイエスに覚えられていました。ザアカイの家に泊まることを決 めておられました。イエスはザアカイに先回りして、ザアカイを救いへ導きま した。

 カルヴァンの教えは、予定説で有名です。神は初めから救われる人とそうで ない人を予め決めているという教えです。これに対して、メソジスト派の祖ウ エスレーの中心にある教えは、すべての人が救われるということです。それは どうしてかといえば、信仰に目覚めていない人にも、すべての人に神の恵みが 働いていて、信仰へ、救いへと導くからです。神様はすべての人に先回りをし て、神を信じる心を持てるように導いておられるのです。これを、「先行する 恵み」と言います。

  子どもたちは、いつ神を知るのでしょうか。どんな罪人にも神を知る心があ ります。神は私たちの意識していないところで、私たちを救いに導き、信仰を 抱き続けるようにはからっておられます。神様が、伝道の働きを根拠あるもの となし、私たちの信仰を励ましておられます。

 愛隣こども園
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