日本キリスト教団

 
 
2024.07.14
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『神からの励まし』
使徒言行録24章
10-16節

 使徒パウロは、トルコ、ギリシャの町に伝道し、多くの信じる人たちが生み 出された。しかし、異邦人が救われるとするパウロは神を冒涜しているとして、 ユダヤ人はパウロを憎んでいた。エルサレムにいた時、パウロはユダヤ人に捕 らえられ大騒動になり、ローマ帝国の兵隊がパウロを取り押さえた。パウロは ローマの市民権を持っていたので、軽々に扱うことはできず、ローマで裁判に かけられることになった。カイサリアの港まで来たが、そこでユダヤの祭司ア ナニヤが言いがかりをつけて訴えた。今日の聖書の箇所は、カイサリアで訴え られたパウロが弁明をする機会を与えられたという場面。

 パウロは、何も訴えられるようなことをしていないこと、訴える人と同じよ うにユダヤの神を信じていること、律法を守っていることなどを話した。そし て「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱い ています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。」(15 節)と、自らの信じることを話した。パウロは、「復活」について話す。それ はユダヤの人々と同じであり、何もおかしなことをしていないと言う。

 この当時、ユダヤにはサドカイ派とファリサイ派があった。サドカイ派は、 復活を信じていなかった。ファリサイ派は、復活を信じていた。復活について 考えを異にしていた人々に対して、パウロは論争の種である「復活」というこ とを持ち出した。そして、ファリサイ派は復活を信じるとしても、それには制 限があった。神に認められた正しい人だけが復活するとしていた。だから、 「正しい人も正しくない人も復活する」というパウロの信仰は、誰にも受け入 れられないこと、キリストを信じるパウロだからこそ語り始めたことだった。

 パウロは、キリストの救い、復活に希望を抱いていると言う。「やがて復活 するという希望を、神に対して抱いています。」(15節)パウロは、大勢の人 の前で自分のことを弁明するために、復活を信じていること、それが私の希望 だと語った。これが私、復活が生きる力だ。復活を信じる、これが私だと語っ た。キリストがもたらす復活が、パウロを捕らえている。生きる支えとなって いる。私たちはどうだろうか。私たちにとっても、復活は希望です。

サドカイ派、ファリサイ派は、それぞれに復活についての立場があり、論理 があっただろう。しかし、パウロは、神様がキリストを復活させたこと、神様 がなしてくださった事実をそのまま信じているということなのだ。それが、パ ウロの生きる支えなのだ。

  七夕の季節に、子どもたちは自分の願い事を短冊に託す。仮面ライダーにな りたかったり、看護婦さんになりたかったりと、子どもたちは夢、希望を抱い ている。子どもたちの心は、明日へと向かっている。私たちの希望は何だろう か。10年後、20年後、30年後に、どのようになっていたいと思っている のだろうか。目の前の現実や足元ばかり見ていては、夢も希望も見つからない かもしれない。パウロは、神を信じていた。復活を希望としていた。

  メソジストの愛唱聖句の一つ、フィリピ書3章9-14節「わたしに は、・・・キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義が あります。10 わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあず かって、その死の姿にあやかりながら、11 何とかして死者の中からの復活に達 したいのです。12 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な 者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているので す。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。13 兄弟たち、わた し自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろの ものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、14 神がキリスト・イエスによって上 へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることで す。」パウロは、全身を前に向け、その腕を必死に前に伸ばし、前のめりにな りながら、目標を目指してひた走った。

 パウロは、ローマ兵に保護される身となってローマに行った。しかし、彼の 本当の希望は、さらに遠くイスパニア(スペイン)に伝道に行くことだった (ロマ書15:24)。ローマにたどり着いて、ここでおしまいではない。復 活を信じて、パウロはさらに遠くを目指している。パウロは、西暦60年頃、 ローマで召天した。希望を抱いて死んだ。そして、神のみもとに今も復活の命 に生かされている。

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