預言者エリヤは飢饉に襲われ、サレプタのやもめの下で神に養われて生き延 びた。エリヤもやもめも、神の慈しみと養いの力を讃え、感謝したことだろう。
しかし、やもめの息子が病気で死んでしまった。かけがえのない息子を失った やもめ(母親)は、悲しみの淵に突き落とされた。
そして、やもめはエリヤに言う。「神の人よ、あなたはわたしにどんなかか わりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせ
るために来られたのですか。」(18節)やもめは、息子の死をエリヤのせいに する。エリヤに責任を問い詰める。エリヤを疫病神のように言う。まるで飢饉
にもかかわらず、エリヤのお陰で生き延びることができたということを忘れて しまったかのように。
やもめは、エリヤによって生き延びることができたことが自分たちの罪を思 い出させると言う。それはいったい、どんな罪なのだろうか。17節で、この
やもめのことを「女主人」と呼んでいる。このやもめは貧しい家の人ではなく、 ある立場を担うような名のある家の人だったようだ。飢饉の中で、町の人々と
どのような関わりがあったのだろうか。町の人に親切にしただろうか。それと も、辛い目に遭わされたのだろうか。やもめの夫は、どうして先だったのだろ
うか。どんな夫婦だったのだろうか。いろいろに想像したくなる。「罪を思い 出させる」と言うのだから、飢饉の中に、あまり良い経験をしていなかったよ
うに思われる。息子を失った悲しみと、過去の辛い経験のその責任を問われる、 そんな重たい心にさせられると言って、やもめはエリヤに食って掛かっている
。
しかし、エリヤは一言も語らない。ただやもめに神の慈しみと力を示すこと だけを思っていた。死んだ息子と共に最上階に上り、神に祈った。すると、息 子は生き返り、エリヤは命を取り戻した息子を母親に返すことができた。やも 2 めの悲しみや重たい心はすっかり晴れ渡り、エリヤに向けるまなざしも柔らか くなった。そして、やもめは言う。「今わたしは分かりました。あなたはまこ とに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」(24節)
エリヤの祈りに応えて、神は息子に命を取り戻してくださった。そして、や もめ(母親)は息子を取り戻した。それだけではない。エリヤを憎み、エリヤを 問い詰めたやもめは、神を信じる人になった。「あなたの口にある主の言葉は 真実です。」やもめの心からの信仰の告白だ。神はやもめを信仰へと招いた。 そして、やもめは神への正しい心の持ち方をするようになり、そのようにして、 神はやもめの命も取り戻してくださった。
振り返って、やもめの抱いた飢饉の中にも生き延びることができる感謝の心 は、預言者を呪う心へと変わり、そして、息子を取り戻すことができた喜びと、
神への感謝、神への告白へと導かれた。紆余曲折を経て、信じるように導かれ た。私たちの心は、揺れている。定まりがない。その目で見たこと、その耳で
聞いたことによって、右に左にと振るわれる。そんな定まらず心もとない人に 対しても、神は慈しみを向け、その力を示し救ってくださる。そして、今、や
もめにとって神こそが生きる支えとなっている。 「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザ ヤ書40:8。
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