トルコ半島の西の端、大きな港町エフェソにキリストの教会があった。その土 地の人々(異邦人)が多く集っていた。彼らは、聖書の神を知らずに生きていたが、
キリストの福音を聞いて回心した。エフェソ書2章には、「あなたがたは、以前 は自分の過ちと罪のために死んでいた。」(2節)しかし、「憐れみ豊かな神は、わ
たしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいた わたしたちをキリストと共に生かし」(4-5節)てくださった。だから、神を
信じ恵みにあずかる者とされたことを喜んで生活しようと勧めている。
そして、今日の箇所、14節からは、恵まれた信仰生活がなされるように祈り がささげられている。一人ひとりの信仰を強めてください。心にキリストが宿っ
てください。イエス・キリストによって示された神の愛にしっかりと立つ者とな りますように。キリストの愛に根差し、愛にしっかりと立つ者にしてくださいと
祈っている。私たちの人生を支えるもの、豊かにするもの、人生の力となるもの は様々あるが、神の愛こそ最も重要だということを心に刻もうと勧め、願い祈っ
ている。
今日の聖書の言葉は、祈りの言葉だ。一人ひとりのこれからの信仰の歩みが豊 かであるようにと祈る。いよいよ神を信じ信頼し、神の愛によって生きる人にな
るように。そして、18節からは、信仰によってもたらされる恵みやすべての良 いものに満たされて、神の豊かさに満たされることができるならなんという幸
いなことだろうという。「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリスト の愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるか
に超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさの すべてにあずかり、それによって満たされるように。」(18-19節)
神の愛の「広さ、長さ、高さ、深さ」とは、神の愛を平板なものとしてではな く、いろいろな見方や関わり方のできるものとして、いろんな場面で気づかされ
る奇しき神の計らいとして、神の愛を様々に味わい、様々な場面で心の拠り所と しようというのだ。広さとは、どの人もすべての人が愛されていること。長さと
は、いつまでも続くこと。高さとは、何よりも尊いこと。深さとは、どんな大き な罪を犯した人も愛されること。人生の様々な経験を通して、神の愛のすばらし
さをその身に示されるなら幸いだ。
そして、神の愛のすばらしさを知ることによって、「ついには、神の満ちあふ れる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされる」(19節)ことができ
る。何も足りないことがなく、何も不安でなく心配でもなくなる。神がすべてを 満たす世界に招かれるのだ。これを、信仰の極みと言うのだろうか。このことを
目指し、このことを心の支えとしていこう。神様に満たされて、それぞれの人生 が豊かにされるようにと祈っている。
神の愛がどれほど素晴らしいものか。神に愛されている私たちは、どれほど幸 せであるかを振り返らせる。「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべて を、はるかに超えてかなえることのおできになる方に」(20節)栄光を帰して いこう。
フランス革命の時、多くの聖職者が命を奪われた。ある司祭が幽閉された牢屋 には、十字架の形をした小さな窓があった。彼の死後、そこに文字が刻まれてい るのが見つかった。上に「高く」下に「深く」横には「長く」「広く」と記され ていた。逆境にあっても、死刑の執行を待ちながら、神の愛が尽きないものであ ることを知っていたのだ。
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