日本キリスト教団

 
 
2024.10.13
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『賜物を持っている』
ローマの信徒への手紙12章
1-8節

  今日は神学校日。伝道献身者の養成ということに心を向けたい。私たちは、伝 道に「献身する」という。単なる勤めや努力だというのではなく、伝道に「身を 献げる」と言う。それは、そもそも伝道するということが、人の人生を献げるこ とを求めるからだ。福音を説き、神を愛し人を愛しなさいと説きながら、その人 がそのように生きていないなら、それは伝道の実りを得ることにならず、また不 誠実だと思う。そして、一人の人間として神に従うのだが、いつも神のみ心、求 めていることと同じことを思っているということではない。自分のことを横に 置いておいて、神を優先することや犠牲を払うことが求められることもある。そ ういう意味でも、献身と言うのがふさわしい。

  私が大阪の教会で牧会していた頃、神学部の新約学教授のK先生が、その教 会の名誉牧師でおられた。ある時、修養会をしようということになり、「信仰と 生活の分離を戒めたいというテーマです」と伝えると、K先生は今日の箇所、ロ ーマ書12章1節を示してくださった。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける いけにえとして献げなさい。」

  パウロは、ローマの信徒への手紙12章から信仰をもって生きるのはどうす ることか、信仰者の生き方を教えている。その最初の心がけが、12章1節の言 葉。神に愛され救われる者として「神の憐みによって」勧めると言う。神の愛と 救いを感謝し、愛に応えて生きていきましょうと言う。

  そして、3節以下では、私たちが自分を神様に献げるということは、つまりは、 自分の持っている良いもの、賜物を献げることだと勧める。一人ひとり神様から 賜物を与えられていると信じて、賜物を活かし用いようと勧める。その時、一つ 条件をつけている。「わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に 言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えて くださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」(3節)

  パウロは、パウロの伝道の障害でもあった、いわゆる熱狂主義者を念頭におい て、この言葉を言っている。彼らは、聖霊に満たされて、自分ひとりの思いを神 のみ心と勘違いして、周囲のことに配慮しないで身勝手に振舞う人たちだった。 それでパウロは、賜物は神様が与えてくださったものだと慎み深くわきまえて いようと言う。英語で天才、秀でた能力のある人、豊かな賜物を持つ人のことを gifted と呼ぶ。Gift とは、贈り物のこと。私たちが神様から賜物を与えられてい ることを言っている。つまり、私はこんなに素晴らしい賜物を持っているから偉 い、人々は私に従うべきだ、私を差し置いて何もしてはならないという高慢な思 いになるのではなく、神様からこんなに素晴らしいものを与えられているのだ と感謝し、賜物を用い活かすことができることをまず喜びとし、神のため人のた めに用いようとし、人々と共に用いていこうと心がけようと勧めている。

 賜物と聞いて、何のことだと思うだろうか。すべての人が、さまざまな賜物、 よいものを与えられている。幼い頃からある能力を引き出そうと早期教育に取 り組む親子もいる。プロスポーツや芸術の世界では、そういうことが重要である と言われている。しかし、特技と言うのではないとしても、その人の「人となり」、 「性格」や「個性」はすべて広い意味で賜物だと思う。生まれながらに備わって いるもの、例えば、優しい心、強い心、すぐにくじけない根性、倒れても起き上 がるしぶとさ、自分の興味関心を突き詰めようとする好奇心も賜物だ。

  今日の聖書の言葉で、パウロは賜物を活かし用いようと勧める。そして、その ために心がけるべきことを言っている。「神の憐れみによって」「恵みによって」 というパウロの示す心がけを心にとめるなら、パウロが言葉にしていないのだ が、しかし一番言いたいことは、「神を信じることができることが、最大の賜物 だ」ということだ。改めて、神を信じることができることのすばらしさを思う。 神様から信仰を与えられて、私たちの人生の歩みが豊かになるように、豊かに祝 福されるように願う。
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