日本キリスト教団

 
 
2024.11.10
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『いつまでも共に』
ガラテヤの信徒への手紙3章
7-9節

  今日の説教題は「アブラハムの子」。私たちは「子ども」という時、それは親 の血を引く子のことだとまず思う。しかし、父母の血を引く子どもだけではなく、 養子縁組や、親がなく施設で育つ子どももいる。いろんな面のことを思うと、血 筋というだけでなく、親の心を受け継ぐという意味で子どもであるということ もあることに気づかされる。

  今日の聖書箇所では「アブラハム子」という言葉が出てくるが、この「子」と いう言葉は、ギリシャ語のフィオス。これは血筋ではなく心を受け継ぐ子どもと いう意味だ。ギリシャ語には、親の血を引く子、血筋という意味の子どもはテク ノスと言い、精神的な意味で親の心を受け継ぐという意味ではフィオスと言う。 イエス様が「神の子」だと言われるときは、神のフィオスと言う。イエスは、聖 霊によって生まれた子、神のみ心をご自身の心とし、神に愛されている人という ことを表している。

「アブラハムの子」とは、アブラハムの心、神を信じる心を受け継ぐ人のこと。 しかし、聖書の中では、そういう意味ばかりではない。イエスと論争するユダヤ 人は、自分たちはアブラハム子だと言って、ユダヤ人は特別な存在であり、神に 選ばれた民なのだと言っていた。それで、心を頑なにしてイエスが語る神のみ心 を受け入れなかった。アブラハムの子なのだという自覚が、人々を高慢にさせて いた。

  洗礼者ヨハネも、当時のユダヤ人に厳しい言葉を浴びせている。「7 ヨハネは、 ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言っ ている。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔 い改めにふさわしい実を結べ。9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみ るな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すこ とがおできになる。」(マタイ福音書3:7-9)ここで使われているのは、血筋 でいう親子のこと、子ども(テクノス)という言葉。

  今日の箇所でパウロは、「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であ るとわきまえなさい。」(7節)と言っている。アブラハムのように神を信じる人 でありましょう、アブラハムの信仰を受け継ぐ子(フィオス)でありましょうと 勧めている。アブラハムの信仰を受け継ぐ人は、アブラハムの子だと言う。

   では、アブラハムとは、どんな人だっただろうか。創世記12章には、アブラ ハムが神から呼び出されて行く当ても知らずして旅立ったと記されている。彼 は、必死に神の懐に飛び込んだのだ。神を生きる支えとしたのだ。そして、子孫 が増え広がるという約束ばかりで、子どもを授かる気配がない時も神の約束を 信じ続けたという。

   このことをパウロは、ローマ書4章でアブラハムの信仰を神が認められたと 称え、私たちイエス・キリストを信じる者の模範だとしている。「13 神はアブラ ハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に 基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。・・・17 死者に命 を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、 その御前でわたしたちの父となったのです。18 彼は希望するすべもなかったと きに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われ ていたとおりに、多くの民の父となりました。」(ローマ書4:13-18)

  今日は、子ども祝福の祈りをする。アブラハムは、神への確かな心、信仰を抱 いて旅立った。私たちの人生も一つの旅にたとえられる。私たちは幼い時に、人 生の旅に旅立つ準備の時を過ごす。何を備えるべきだろうか。長い人生の歩みの ために大事なことは何だろうか。生きる価値、生甲斐のある人生にするために何 が必要だろうか。そして、神に祝福された人生にするためには何が必要だろうか。 それは、最も確かな方、神を支えとし、心が安定していることだ。そして、何よ りも神の愛を喜んでいることだ。

  ルカ福音書19章でイエス様は、徴税人ザアカイの家に宿られた。空しいもの に心を奪われていたザアカイに、神の愛を伝えられた。そして、心の底から悔い 改め神の愛に生きるようになったザアカイを前にして言われた。「今日、救いが この家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」(ルカ福音書19:9)
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