イエスは、12人をご自分の弟子としてお招きになり、各地の村や町に伝道に派遣され た。今日の聖書の言葉は、弟子たちを派遣する前に弟子たちに話された言葉だ。イエスは まず、「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。」 (16節)と言われ、福音伝道のために世に派遣されることはとても厳しい目に遭うこと だと言われる。福音を信じるか否かを巡って親子が殺し合い、弟子たちはすべての人に憎 まれるようになると言われる。
今日の言葉は、そんな厳しい働きに派遣される弟子たちを励ましている。神をこそ畏れ、 人を恐れるなと言われる。いつも神様はあなたの味方だと言われる。パウロの記した「も し神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。・・・しかし、 これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝 かしい勝利を収めています。」(ローマ8:31-37)という言葉を思い出す。
二羽の雀が2アサリオン、安い値段で売られているが、小さな雀にも神のはからいがな され、髪の毛の一本一本という細かいところにまで神の眼差しが届いていると言われる。 神はこの世界のあらゆるところ、至るところに、細かいところにまで存在しておられる。 ほんの小さなことまで、神はすべてをご存知なのだ。この世界は、神の臨在で満たされて いる。だからこそ、神をこそ畏れ、人を恐れる必要はないと言われるのだ。
500年前のヨーロッパでは絶大な政治的軍事的な権力を振りかざす、神の代理人と称 するローマ教皇が人を救うと信じられていたが、そういう状況の中で、ルターが、教皇と いえども人であり、神ではないと明確にしたことをもって、宗教改革の運動が始まった。 ルターの作とされる讃美歌377番「神はわが砦」はとても勇ましい。殺傷与奪の権を握 る絶対権力に立ち向かう改革者たちの強烈な意気込みを感じる。
昔は、「お天道様は見ている」「お天道様と米の飯はついて回る」と言ったものだ。割る ことは誰かが見ているから、やってはいけないのだ。ある新聞の投稿に、ドイツの町のと
ある駐車場に車を止めていたら、隣りの車の人がずっと待っていたという。車をぶつけて しまって持ち主(投稿者)に謝るべきだからだと言われたという。その律義さ、誠実さに
驚いたという投稿があった。待っていたその人は、「神様はどんなことも見ておられるから」 と言った。神を畏れ尊ぶことが、人と人との確かな関わりをなすことになるのだ。
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