イエス様のお生まれになった時の出来事を記しているのは、マタイ福音書と ルカ福音書の二つです。今日はマタイ福音書を採り上げていますが、イエス様の お生まれになった時のことは最初の 1 章と 2 章です。この 2 章分の文章をまと めて一息に読んでみますと、あることに気づきます。それは、話の展開、物語の 流れが夢と旧約聖書の預言者の言葉によって導かれているということです。
聖書の中で人が夢を見るというのは、神様からの大事なことを知らされるこ とです。もちろん、旧約の預言者の言葉は、神のみ心を伝えるものです。夢と聖 書の言葉が、神のみ心を伝えるのです。そして、イエス様がお生まれになった時 の出来事も1つ1つ、神のみ心、神の計画が一つ一つ成就していくのです。
マリアのいいなずけヨセフは、夢を見てマリアを迎え入れイエスの父親にな れと神からのお告げを受けました。東の国からやってきた博士たちはヘロデの 王宮を訪ねて、旧約聖書のミカ書 5 章の言葉によって、救い主はベツレヘムに お生まれだということを知ることができました。それから、父ヨセフに神さまは 夢を見せて、エジプトに逃げて行けと命じたのです。そして、ヘロデ王がなくな ってから、またヨセフは夢を見ました。今日のところです。エジプトからユダヤ に戻れと命じました。ユダヤに戻ったイエス様は、ガリラヤのナザレという町で お育ちになりました。これは、預言者が語っていた通りのことでした。このよう にして神のみこころが一つ一つ成就したのです。
イエスの父ヨセフの見た夢によって神のみ心、救いの業をなすための計画が 示されました。預言者の言葉の一つ一つは神のみ心を示し、み言葉は成就してい
きました。イエス様がお生まれになるということを巡って、つまり、私たちの救 い主がこの世に現われるということを巡って、夢によって、預言者の言葉によっ
て、神のみ心が知らされ、神のみ心が実現していったのです。
神の計画が実現していく中に、人は恐れを抱き、喜び、不安にされました。悲 しみや悔しさを感じました。神の計画が実現していく中に、世の人々の様々な感
情、喜怒哀楽がありました。これはクリスマスの物語だけのことではなく、この 世界の歴史、私たちの人生もすべて神の計画の成就なのです。私たち人間の側か
らいうなら、私たちの日々の歩みというのは、日々目の前に起こることに応じて いるだけのことだと思うのですが、神様の側からいうと、神様の計画のなされて
いく中に私たちがおり、その時々の感情を抱いているということになります。
クリスマスの出来事だけでなく、私たちの人生の歩みも、もっと大きく見れば、 この世界も神様によって救いへと導かれているのです。私たち一人ひとりの歩
みは神のみ心が成就していく一コマである。そのように思うなら、心を落ち着か せられます。神のみ手の内にある人生なのだと心を確かにさせられます。さらに
は、世界の行く末に期待を抱かせます。
どっしりと神の御手に自分をゆだねて、そして、日々の暮らしの中のこまごま としたことに心煩わせていきませんか。心は大きく神様に委ねて、日々目の前の
移り変わるあれこれに慌てながら過ごしませんか。神様の救いの到来を信じる ということを、「急ぎつつ、待ちつつ」とも言います。
ヨセフは夢を見て、神様のみ心を知り従いました。私たちは、夢を見て神様の 御心を知ること、これが神の御心だと確信することはほとんどないのではない でしょうか。私たちは夢を見ることが神様と結びつかないものだし、神様、神の 使いが夢に現れません。私たちはやはり、「待ちつつ急ぎつつ」、「急ぎつつ待ち つつ」だと思います。私たちの心は神様の御手にどっしりと任せて、、神様の懐に 錨をおろして、神様の温かい眼差しの内に歩んでいきましょう。
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