イエス様は、伝道活動を始められてすぐに、お育ちになったナザレの町にある ユダヤの会堂の礼拝に行かれた。会堂での礼拝では、説教者は会堂長が指名する
ことになっており、その日はイエス様が指名された。イエス様はその日の聖書の 箇所、イザヤ書61章を朗読して、説教を語り始められた。その日の聖書の言葉
をもって、神に遣わされた救い主として働く、ご自身の使命だと言われた。
イエス様は神が遣わされた人であり、「主の霊」がイエス様の上に宿っている。 自分一人では生きていけないような、謙虚な思いでいる「貧しい人」に福音を告
げる。神からの使命を帯び「油を注がれ」メシア、救い主としてお働きになる。 人々を神から引き離そうとする力、罪へと誘う力に捕らわれている人を解放し、
人々に神の御業を信仰の目をもって見えるようにし、救いを喜んで生きるよう にしてくださる。この世での様々な制約や支配者の権力に圧迫されている人を
自由にする。50年に一度の、すべての重荷(借金、奴隷の苦しみ)から解放す るヨベルの年、「主の恵みの年」の到来、つまり、神の救いがもたらされたこと
を人々に告げる。これが、イエス様ご自身の使命だと言われた。
そして、イエス様は21 節「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にした とき、実現した」と言われた。イエス様を救い主として受け入れたならば、信じ
るならば、今、既にあなた方に神の救いがもたらされているのだと言われる。私 たちも、クリスマスにイエス様を救い主として迎えた。それで、私たちに神の救
いがもたらされている。神の言葉を聞いて信じる人に、信じたその時に、神の救 いがもたらされている。
神は天地を創造された。神が「光あれ」と言われると、闇の中に光が輝いた。 そのように、神は言葉を発し、言葉によってこの世界を創造した。神の言葉には、
創造の力が宿っている。言葉は出来事になる。神のみこころは言葉となり、それ は成就する。イエス様は、神の言葉と言われる。神のみこころを現す人だ。この
方を尊んで生きる人に、神のみこころが現わされ導かれる。苦しみ悲しみの中に あっても、神のみこころをたどる、祝福された人生が与えられる。
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