日本キリスト教団

 
 
2025.02.09
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『わたしは聞く』
エレミヤ書29章
10-14節
 私の先輩の牧師から聞いた話です。その方は60歳を過ぎて病を得て数週間 入院をされました。相部屋からいなくなる人がいます。無事に退院する人、そ うでない人がいます。病が癒えて退院する人たちの多くは、家に帰るのを待っ ている人がいる人たちです。待つ人がいることが心の支え、希望です。

 今から80年前には、ナチスドイツによってアウシュビッツの収容所に何百 万人ものユダヤ人が連行されて殺されていきました。精神科医のビクトル・フ ランクルは、ある本の中に、収容所ではいろんな苦しみを経験したけれども、 事あるごとに家族のことを思い出していた、と書いています。あの人がいる、 あの人が待っているという気持ちが逆境の中で踏ん張る力を与えてくれたと。

  今日は、エレミヤという名前の預言者が2500年前に書いた手紙の一節を 採り上げています。エレミヤはユダヤのエルサレムで預言者の活動をしていま した。そして、ユダヤの国がとても強いバビロン帝国によって攻め落とされて、 都エルサレムも跡形もなく廃墟とされた、エレミヤはその時のエルサレムに居 ました。エルサレムから貴族や有能な人々、多くの人がバビロンに連れされて いくのを、彼は目の当たりにしていました。

  大いに心配したのです。遠い国に連れされた人たちがどんなに苦しい日々を 送ることになるか。ちゃんと日々の暮らしができるのか。神様を信じる思い、 信仰を失ってしまわないか。それで、バビロンに連れ去られた人々に手紙を書 きました。人々を心配し、励ます思いを込めました。

  連れ去られた土地で、まず日々の暮らしを普通にできるように思いを定めて 落ち着いて生活してほしい。町の人々の平安を願い、一緒に仲良く平和に暮ら してほしい。まず何よりも、新しい土地での生活を整えましょうと励ますので す。そして、さらにはその苦しみの土地で過ごすのは70年たてば終わると神 様が予告していると言います。70年後には、あなたたちは解放される、自由 になってエルサレムに帰って来ることができる。このことを心の深くに信じて ほしい。この神ような神様のはからいに望みを見出してほしい。思いを確かに していてほしいと呼びかけます。

  ユダヤの人々が苦しみを背負うことになったのは、神様を顧みなかったから だと言われています。けれど、今はどんなにできの悪い人達であっても、神の 民であるのならば、神様はその人たちを顧みると言われているのです。平和と 幸いを願っているというのです。神様が待っています。人々が神様のことを思 い出して、神様を尊ぶ気持ちを取り戻す日が来ることを待っています。 「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞 く。」と神様は言われています。「わたしは聞く」、一人ひとりに神様は顔を向け て、耳をそばだてて、思いを向けて聴いてくださいます。

  今から15年ほど前に、東京大学の玄田有史先生の書いた本、「希望の作り 方」という本を読みました。私が思うのには、一人ひとりがどんな生活環境に 身を置いているのか、それで何を感じるのかということ、いつどこにいても前 向きな思いでいられるということが希望を抱くということだと思います。そう いう生活のあり様は学問が対象とする大きな問題だと思いますが、とどのつま り希望というのは心の在り方です。

 迫害されて苦難ばかり経験したあの使徒パウロであれば、苦しい日には苦し いなりに過ごす術を身に着けていると言います。私たちにはむずかしくても、 しかし、信仰によって希望を抱くことができるのです。預言者のエレミヤは、 神様が待っている、神様はあなたの祈りを聞くと告げています。

  そして、思い出すのはイエス様がよみがえって弟子たちの前に現れた時のこ とです。イエス様を裏切ってイエス様に合わせる顔がないとしょぼんとしてい た弟子たちに、イエス様は言われました。「平和があるように」。このイエス様 の言葉は、罪深い弟子たちが神様に罪を赦されて、それであなたには明日があ るという宣言です。そして、そのイエス様の慈しみに溢れる思いを、今日のエ レミヤの言葉に聴くものです。

  「10 主はこう言われる。・・・12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来 てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。13 わたしを尋ね求めるならば見い だし、心を尽くしてわたしを求めるなら、14 わたしに出会うであろう、と主は 言われる。
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