イエスの弟子ペトロは、弟子たちを取りまとめる役目をし、イエスに「あなたはペトロ。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」(マタイ16:18)と言われた特別な人だ
った。その人が、これからイエスを見捨てることになるので、イエスに「わたしはあなたの ために、信仰が無くならないように祈った。」(32節)と言われた。実際、イエスが捕らえ
られてから、ペトロは大祭司の家にイエスを追いかけていくが、イエスのことを知らないと イエスを見捨てた。こんなペトロの弱さをイエスはご存じだったのだ。
「だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(32節)イエスが 捕らえられてから疑いの只中にあったペトロは、イエスがよみがえった時、信仰を取り戻し
た。ペトロは弟子たちを励まし、この世にイエスの福音を力強く宣べ伝えるようになった。 イエスがペトロの信仰を守ることは、弟子たちの信仰を守ることになり、そして、この世の
人々に救いがもたらされることになった。イエスがペトロの信仰がなくならないように祈る ことは、この世の人々への愛によることだった。
ルカ福音書では、イエスはたびたび祈っておられる。神の子は神との関わりを保つことに よって働きを支えられた。イエスの祈りは、神の子の祈りであり、凡人の祈りとは比較がで
きない。イエスの祈りは聞かれ、ペトロの信仰は守られた。そのようにして神の救いはこの 世に進展していった。世の人々を愛する神のみこころが成就していった。
イエスはペトロのことを執り成し祈るが、方やペトロはどうだったか。「主よ、御一緒に なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(33節)と言った。ペトロは自分
の弱さに気づいていないし、イエスに祈ってほしいとも言っていないというかのようだ。こ のようなペトロをよそに、イエスは祈り、イエスの祈りは成就した。私たちは辛い日々に、
神さまに助けを祈りたい。私たちは、いつ、どのような時に祈るのだろうか。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練
と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10: 13)神様は困難の中にある私たちを助け守ってくださる。そして、13節の前には12節
「立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」と言われている。ペトロの ように自分の思い通りにできると思っている人が道を塞がれたら、戸惑いは大きいことだろ
う。ショックの大きさに耐えられないかもしれないと思う。しかし、そのような時に、神は 逃れ道を備えておられるのだ。重荷を背負う時には、祈りながら、その道を求めていきたい。
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