「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう」。
「十日の間、苦難にあう」とは、決して悪魔の業が、十日間という意味では、ありません。高倉徳太郎牧師は、「悪魔は三日間で、四日目の朝には、あなたは苦しみを脱するか、少なくとも解決の糸口を見つけるだろう」と言っています。三日にせよ、十日にせよ、数字ではありません。十日間は、ある意味で長い時かもしれません。
しかし、たとい長くとも、悪魔の業には日限があります。永遠なる悪魔というのはありません。悪魔が働くには、必ず時間的日限があります。この限界を超えて、悪魔は力をふるうことできません。どんな大火でも、永遠に燃え続ける火事はなく、必ず火は燃え尽くす材料を自ら焼き尽くしながら広がります。そして最後は消えます。何もしなくても消えます。悪魔も、自ら燃え尽きる材料を燃やし尽くす、日限をもっています。苦難の中にいる者の危険は、その苦しみがいつまで続くか分からないところにあります。この不安が恐ろしいのです。しかし、どんな苦しみにも終わりがあります。信仰は、常にその限界を知り、その果てを見極めることができます。
「わたしは、すべての全きことに限りのあることを見ました」(詩編119:96)。
真にただひとり無限なるお方を知っている信仰者は、地上のすべてのものが有限で、相対的であることを知っています。それゆえ悪魔の力に限界のあることを知っています。