5月08日(日)「疲れた者はわれに来たれ」 説教要旨
−マタイによる福音書 11章 25節〜30節− 
 

 

 


   「疲れた人」とは肉体労働で、疲れはてた人,「重荷を負う人」とは、責任を負い、神経を使い果たし、心身共にどうしようもなくなった人のことです。今の社会は、疲れた人で満ちています。それは日本に残っている前近代的な雇用関係のためです。しかし、西欧社会にも、疲れた人は、かなりいます。数は日本よりも少ないでしょう。精神的に病んでいる人もいます。何らかの意味で、疲れていない人はないとも言えるでしょう。それは人間存在にともなうもので、人間の罪からくるのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。第一に「誰でも」、「すべての人」がです。あなたも例外ではありません。誰でも、このイエスからいただく休みにあずかることができるのです。このイエスの休みをいただくのに、十分な力がいるわけではありません。ホテルで連休に休み、温泉で休養するには、十分なお金がなくてはだめでしょう。しかし、イエスが「休ませてあげましょう」という、いこいは、誰でもわざわざ手にいれるために努力することはいりません。この休み、憩いは、賜物です。しかも、それは全能の神からきます。「わたしのもとに来なさい」それはあなたの力ではないし、私たちの力でもありません。
 しかし、私たちのすることもあります。イエスのもとに行かなくてはなりません。そして「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と言われます。イエスのもとに行ってすることは、「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」。「くびき」とは、車を引くために動物につけるものです。しかし、そんなものを首のまわりにつけたなら、息苦しくて、とても、「休み」とか「憩い」とは程遠いのでないでしょうか。けれども、イエスのくびきは、あのパリサイ人や律法学者たちのように、律法でがんじがらめに縛る鎖ではありません。「くびき」というのは、荷を引く時、荷物を軽くするもので、人をしばる鎖とは違います。しかも、ここではイエスは「わたしのくびき」と言っておられます。つまり、このくびきは、イエスがまず負ってくださるのです。「わたしのくびき」と言われのは、イエスが共に負ってくださる、二頭立ての馬車のようなものです。つまり、イエスがわたしの隣りにいるのですから、わたしは第二のもとして、そのくびきを負えばよいのです。それで「わたしから学びなさい」と言っているのです。「同行二人」と言われます。一人はイエス・キリストにほかなりません。二人で負う時、苦労は苦労でなくなります。なぜなら、愛という、苦労以上の価値が、生きてくるからです。イエスが、二人づつ弟子を遣わしたのも、人間が夫婦として造られたのも同じ理由からで、助けあう時、苦しみは喜びに変わります。
 学ぶというのは、「まねる」から来たと言います。では何を学ぶのでしょう。イエスの負っている、その「くびき」を。ふつう学生は、教師の深さや大きさを学ぶのですが、イエスの場合違います。イエスの柔和と低さを学ぶのです。しかし、この柔和と低さは、決してお世辞やゼスチャーではなく、イエスの存在が柔和と謙そんなのです。それは十字架です。それは神の自己謙虚の極です。「キリストは神のかたちでいましたが、神と等しくあることを固守すべきことと思わず、己を無にし、人となり、十字架の死に至るまで従われた」。今、このように低くなられたお方と共に、私たちも低くなることが私たちの課題です。今、あなたが重荷として負っているものは、初め神が負われたものにほかなりません。そこに真の休みがあります。その休みは、ただレジャー休養でなく、「魂に休みが与えられる」のです。からだの休みなら休養を取ればすみます。しかし、現代の世の中、本当の魂の休みがあるでしょうか。それはすべての主が、あなたといっしょに、車を引いて行くそこに、与えられます。あなたが、信仰について学ぼうとするなら、ただ聞いて知るだけでなく、あなたと並んで車をひいておられるお方を見て、そのくびきを共に負わなくてはなりません、主があなたと共におられるなら、その「くびき」はいらないのではなく、その「くびき」は、あなたと主を結び、あなたと主は連帯するのです。それはあなたの荷を軽くします。軽くするだけでなく、生ける神とあなたとを結びます。それで「愛なる神の世界に、どうして苦しみがあるか」という問いは、ありえないのです。神とは、苦悩なのです。神とは苦しみ、悩む方のことなのです。ただ苦しみ悩むだけなら、それは地獄でしょう。しかし、神は違います。神においては、共に苦しみ悩むのです。苦しむ愛、共に悩むこと、それが神なのです。十字架の言葉は、滅びる者には愚かなれど、救われる私たちには神の愛の力なのです。

 

   
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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