1月8日(日)「パンの奇跡」説教要旨
   ヨハネによる福音書 6章1節〜14節

 私たちは日毎のパンと永遠のいのちのパンの区別と共に、その深い関係を知らなくてはなりません。聖晩餐がその関係を示しています。キリストは、荒れ野の誘惑の時、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでるすべての言葉によって生きる」(マタイ四・四)といわれました。けれどもイエスは、決して私たち人間に、食べ物や着物がいらないと言っていません。今、主の言葉を求めて熱心に山の中まで来る人びとのために、食べ物を配慮します。しかし、神の言葉とパン、それは別々ではありません。その証拠に、イエス・キリストは、このあとで、永遠のいのちのパンをお示しになり、「私はいのちのパンです」(6:48)と言い、「永遠のいのちにいたる朽ちない食物のために働く」よう勧めています。神の言葉とパンは、イエス・キリストにおいて一つになっています。私たちも、地上のすべてのものは、神からくることを信じ、どんな時にも、必要を神が用意くださることを信じましょう。
 ここでピリポは言いました、「二百デナリのパンも、めいめいがすこしずついただくにも十分ではないでしょう」。ピリポは、とっさに計算しました。それは特別な能力です(今ならコンピューターで計算するでしょう)。けれども、彼の計算は、嘆息に終わっています。「二百デナリのパンも、めいめいがすこしずついただくにも十分ではないでしょう」と。ところが、「これはピリポをためそうとして言われたのです。ご自身では、これから何をなさろうとするか知っておられたのです」とあります。神は私たちの困窮の中で問います、「どうしたらよいのか」と。しかし、あわててはいけません、イエス・キリストはすでにご自分でなさろうとすることをご存じです。ある人が言っています、「与えられるものについて考えるにはおよびません。しかし、大切なことは、それを与えてくださるお方と共にあることです」。
 もう一人の弟子アンデレは言います、 「ここに大麦のパン五つと魚二匹をもっている子供がいます。しかし、それがこんなに多くの人に何になりましょう」。アンデレは、ピリポとは違って計算にたくみではありません。彼が目につけたのは、そこに実際、パンをもっている子供です。ただ二人とも結論は同じで嘆息に終わりました。人びとは計算します、しかし、嘆息します。また人びとは、今自分たちのもっているものを見ます。けれども人間に目をむけたのでは嘆息だけがでてきます。彼らは、キリストのなさることを見ません。荒れ野で、イスラエルの民が飢えた時、肉を要求しました。「ああ、肉が食べたい。私たちは思い起こします。エジプトでは、ただで魚を食べました。すいかもきゅうりも、にらもたまねぎも、そしてにんにくも食べました。けれども私たちの精根は尽き果てました。私たちの目の前には、このマナのほか何もありません」(民数記一一・四以下)と。モーセは神に訴えます。そして神はそれに答え、「主の手は短いのですか。あなたは今私の言葉がなるかどうか見るでしょう」と言われ、彼らに肉を与えました。その時、天からうずらが降ってきました。
   私たちはいつも、この神のみ手を忘れます。神はいつも人間の限界のところに立っておられます。さてこの二人の弟子の提案は、いずれも嘆息で終わりましたが、イエス・キリストは、どちらかと言うと、架空な計算よりも、現実にあるものに目を注がれます。子供のもっている「五つのパンと二匹の魚」、それをお取り上げになり、そこから不思議な奇跡をなさいます。つまりここで、理想や、架空な計算ではなく、煩瑣な議論でもなく、単純に今あるものに目をとめられたのです。私たちは言います。「自分には力がない、金もない、人数も少ない」、しかし、何かがありはしませんか、たとえば「五つのパンと二匹の魚」がありはしませんか。ないものにではなく、自分に今あるものに目を注ぎましょう。そしてそれを、主に差し出しましょう。その時、主が大きくしてくださるのです。私たちの心は、いつも、ないものの方にゆきます。しかし、あるものの方に目はゆきません。ですから出てくるのは嘆息だけです。ある教会の会合で、「今教会に何が足りないか」と論じていた時、植村正久牧師は、即座に「ないのではない、出さないのだ」と言いました。しかし、ある人は言うかも知れません、「主は全能だから、何もないところからでも、出せるのではないですか。なぜこの小さい子供のパンをお取り上げになったのでしょうか」と。それは私たちのものを捧げることを通してのみ、神のみ業が行われることを示すためにほかなりません。そして小さな子供、私たちはふつうそれを馬鹿にして、そんなところからは何も起こらないと思っています。けれども神は、最も小さなものから奇跡を行われるのであります。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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