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1月22日(日)「自由と愛」説教要旨
ガラテヤの信徒への手紙 5章13節〜15節
「自由」とは何でしょうか。戦後、「自分勝手」と履き違えられました。今でも、自由の本当の意味を多くの国民は知らないのです。自由とは人間が人間らしく生きること、私たち人間の本来の姿になり、自分に与えられた賜物を発揮できることにほかなりません。しかし、世の中には自由をはきちがえて、自分の思うとおり何でもできることだと思っている人があります。「ただその自由を肉の働く機会としないで、互いに愛をもって仕えあいなさい」と、パウロは言います。自動車は電車のように軌道もなく自由です。しかし、砂漠では自動車は自由でなく、かえって駱駝の方が自由です。つまり、自由とは、ある環境に正しくはまることが必要です。その人の適性、性格、賜物と状況が一致しなければ、自由ではありません。自由とは、人間がその環境にあって、本来の力を発揮できることです。一般的基準や規範で推し量るのでなく、やはり人間性が中心です。ところが律法的宗教は、いろいろな戒律を守ることが、宗教の中心だと勘違いしています。律法宗教は、原理主義です。原理主義の危険は、真理から歴史的要素を取り去り、すべての場合に当てはまる法にしてしまうこと。次に、人間以上に、原理体系を大切にすることです。しかし、イエスは言いました、「安息日は人のためにあるので、人が安息日のためにあるのではない」と。しかし、本当の宗教とは、真に私たちを自由にするものです。地上の利益にとらわれず、栄誉、栄達にこだわらず、真に自分に神からの与えられた賜物にしたがって、自由に生きるようにするのが、宗教本来の主旨です。パウロは「あなたがたは自由へと召されたのです。ただその自由を肉の働く機会としないで、互いに愛をもって仕えあいなさい」と述べます。福音書を見ると、イエスが律法主義者、パリサイ人と戦い、またエルサレムの神殿で、その形式主義を批判して、神殿の清めを行ったことは明らかです。
別な見地から考えて見ると、自由の人というのは、必要な時に決断できる人です。「このことをしよう」、「あのことはすまい」と、イエースとノーをはっきり言える人です。反対に不自由な人とは、イエースとノーをはっきり言えない人のことです。私たちは肉欲を決断することはありえません。それは本能に動かされ、ついついやってしまうのです。それで「肉欲にとらわれたり」、「肉欲に陥ったり」しますが、「肉欲を決断する」とは言わないのです。それゆえ「互いに愛をもって仕えあいなさい」と言われるのです。愛は決断なしにはできません。もし決断なしにできるなら、それは本当の愛ではなく、愛欲でしょう。親の愛でも恋人の愛でも、決断なしにできますが、それは自己中心の欲望的な愛になりがちです。そういう自然的愛には、良い面が多くあるのですが、互いのエゴイズムから、愛の危機がきます。その時、もう一度、自分たちの愛を反省し、決断しなくてはならないのです。「愛をもって仕えあう」とは、もはや肉欲ではなく、それは道徳的決断です。相手に奉仕することですから、それは相手のことを中心に考えて行動することを意味します。エロースに対してアガペーの愛があります。人間はとかく自分勝手ですから、自然にしていたら、まず相手を中心に考えることなどできません。本能のおもむくままというのは、自己中心です。もし肉欲のほしいままなら、それは本当の自由でなく、「肉欲の奴隷」です。そこに「互いに」と言われていることに、注意しましょう。自由は、他の人の自由をも尊重するのでなければ、自分勝手な気ままというものです。真の自由は、他の人の自由を大切にし、互いに神に造られた喜びにあずかろうとし、人を愛してゆきます。このキリストに教えられたものでなければ、愛すらも、自分勝手な手前みそな愛になります。「互いに愛をもって仕えあいなさい」と言われていることが大切です。しかも、仕えるのです、愛は奉仕です。このことがはっきりしていないと、自由さえ肉欲の働くチャンスになりかねません。その時、私にとって良いものが、悪いものに早変わりします。あのアダムとエバを考えてごらんなさい。彼らはエデンの園の中央の善悪を知る木の実を食べました。園の中のどの木からも取って食べてよろしいが、この善悪を知る木からは、取って食べてはいけないとされていました。つまり創造の時、私たち人間は自由に造られましたが、その自由には限界がありました。善悪を知ることは、神のなさることです。それを人間が横取りして、自分が良いといったものは善で、自分が悪いといったものは悪だというように、私たち人間が善悪の基準になったら、それこそ傲慢の極みです。そのために人間は罪を犯すし、アダムとエバの関係もおかしくなり、互いに罪をなすりつけあう結果にさえなりました。
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