2月12日(日)「教育とは何か」説教要旨
   マルコによる福音書 10章13節〜16節

  イエスにさわっていただくために、人びとは幼子をイエスのもとに連れてきました。ところが弟子たちは彼らをたしなめました。きっと弟子たちは、今イエス・キリストから大切なお話しを聞いている、そこに子供がはってきては邪魔だと考えたのでしょう。ここには大人の世界があります。それは仕事の世界です。仕事は必要です、しかし、仕事にはいつも目的があって、その目的をさえぎるものを邪魔扱いにします。ただ一つその目的だけしか見えません。そしてその目的は案外、自己中心主義です。他者は目に入りません。物質中心で、人間疎外が起こります。これがいわゆる大人の世界です。大人の世界の言語は、「うまくやる」です。商売する大人は、うまく儲けようと思います。弟子たちも、今、イエス・キリストがお話している。その講演会がうまくゆかないと困る。子供は邪魔だと思います。子供の世界は、それに対して「したいことをやる」です。そのため子供の世界は、案外自己中心で我がままです。しかし、それが創造的に働きます。大人の世界は、「うまくやる」ために保守的になります。新しいことをやって失敗するかも知れない。しかし、子供の「したい」という世界、そこには案外真実があるかも知れません。アンデルセンの「裸の王様」という童話を見てご覧なさい。子供が一番真実を見抜いたではありませんか。ところがここに、大人の世界でもない、子供の世界でもない、もう一つの世界があります。それは神の世界です。「イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない』。そして子供たちを抱き上げ、手をおいて祝福された」。イエスは、弟子たちの態度を怒りました。それは幼子を大切にしないで、大人だけの世界の論理に生きているからです。大人ばかりの世界には何か見えないものがあります。大人の世界の論理は、いつも何かを「うまくやる」ことです。業績主義がその中心です。しかし、イエスは言われます、「幼子は受け入れる」ものである。それは業績主義にはない反面です。「空の鳥が空気を必要とするように、魚が水を必要とするように、わたしたち人間はみな、互いに受け入れられることを必要としています」。聖書を見ると、この「受け入れる」という言葉が見られます。ローマ15:7には、[キリストもわたしたちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れあって、神を栄光をあらわすべきである」とあります。マタイ18:2にも、「心を入れかえて幼子のようにならなければ、天国に入ることはできない」とあります。業績の世界では、「やること」と成績をあげることが、一番大切かもしれません。しかし、幼子の世界では、「受け入れる」ことと「受け入れられる」ことが、一番重要になってきます。今日の社会では、業績主義がはばをきかして、このもう一つの大切なものが忘れられているのではないでしょうか。神の世界はどうでしょうか。子供の世界を受け入れます。そこに創造的すばらしいものを見ます。受け入れるというのは、二つの世界があるのです。「受け入れる者」と「受け入れられる者」です。教育で言えば、親、教師は、「受け入れる人」です。子供は「受け入れられる人」です。人という字は、本来二つの棒が支え合ってできています。交わりの中にある人間を表しています。親は長い棒、子供は短い棒、しかし、長い棒が短い棒を支えていますが、また短い棒も長い棒を支えているのではないでしょうか。この相互性が大切です。対話と言ってもよいです。
 その時、人間観が根本的に変わらなくてはなりません。1 人間は罪人、罪人が罪人を教育することはできない。ただキリストの恵みによってのみできるのです。時々「ひょっとして相手(子供)が正しいかも知れない」と考えなくてはなりません。2 すべての人は、神から賜物をいただいている。それはその子自身が見いだす以外にない。私たちはそのための手助けをするのです。3 キリストにおいて神がなしたもう恵みの業以外に、この世界では何事も起こらない。「受け入れる」とは、教える、さばく、叱るの反対です、「駄目な親ほど、よく叱る」。「親」という字は、「木のそばで立って見ている」の三字からできています。「心をいれかえて」とは、改心して、180度の転換をして、過保護、えこひいき、親の理想のおしつけ、父母の不仲を克服しての意味です。「彼らの御使いは、天にあって、天にいます父のみ顔をいつも仰いでいる」。この天上の対話が私たち地上にあるか。子供を大人社会の手段にしていないか。その魂を目的とせよ。魂こそ神の造られたものの最高です。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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