4月2日(日)「ピラトの審問」説教要旨
   ヨハネによる福音書 18章 28節〜40節

  イエスは十字架の前に総督ピラトから裁判を受けます。もしイエスが裁判を通さず、ただ崖から落とされて死んだとか、ペストで死んだというなら、そこに罪のあがないの意味、神の子があなたの罪のために、代わって死んだという意味が鮮明になるでしょうか。しかも裁判官ピラトは、「私はこの人に何の罪のあるのを認めない」と無罪の宣言をし、「祭に一人をゆるす習慣がある、この人をゆるそう」と言います。しかし、群衆は叫びます「代わりにバラバを」と。バラバはゆるされます。この受難の歴史の中に、罪のない神の子が、私たち罪人に代わって十字架についた、罪の代理の意味があきらかになっています。ここには三種の人がいます。一つは、ユダヤ人とその権威者たち。彼らを支配しているのは律法、原理主義です。原理主義は規則のみ重んじて人間を大切にしません。そこに支配していたのは憎しみです。一方ピラトは、ローマ法の番人で、一生懸命法に忠実であろうとします。自分が、間違いなく行政を行い、大過なくこの務めをまっとうしたいだけです。そのため彼は群衆が強く出ると、ひっこみます。暴動でも起こされたら、自分の行政成績に傷がつきます。したがってここには憎しみのとりこユダヤ人と、御身大事の官僚とがいるのです。激高しているのはユダヤ人、あわてているのは総督です。その台風の目にあって、静かに真理を見据えてお方、それがイエス・キリストです。この台風の目に「真理」と「ユダヤ人の王」という二つの言葉が出てきます。 ピラトの問いに イエスは答えました、「あなたの言う通り、私は王である。私は真理を証しするために生まれ、世に来た。すべて真理から出た者は、私の声を聞く」と。 事務的、官僚的人間にとって、真理は、たいした問題にではないのです。この点、憎しみのとりこになっているユダヤ人も同じです。その真ん中の台風の目に立つお方のみ、真理に目をむけます。いや、この方自身が真理そのものです。「私は道であり、真理であり、いのちである」(14:6)と。
 実用主義なら、真理は邪魔です。戦争中、哲学とか、文学は貴ばれず、ただ理科系や工学が貴ばれました。それも勝つためという実用主義です。今は、アメリカも実用主義に走っています。実用主義に走ったなら、敗れます。バブルなどという哲学も何もない、儲け一辺倒が結局、日本経済をおかしくしたのではないでしょうか。 さてピラトのもう一つの問いは「それでもあなたは王なのか」です。実用主義的官僚ピラトにとって、「王」とは、ローマ皇帝です。しばられて全く無力な王などとは考えられません。軍隊もなければ、王冠もない、税金もとらなければ、従う者すらない、「それでもあなたは王なのか」。それに対しイエスは「見るべき姿はなく、威厳も、慕うべき美しさもありません。彼は侮られ、人に捨てられ、誰も彼を貴びませんでした」(イザヤ53:2)。 「それでもあなたは王なのか」。ここでピラトは、今目の前にいる者が、やがて世界を支配し、ついにローマを滅ぼし、その信仰が世界大に広がって行くと考えることができません。「それでも」には軽蔑した響きがあります。しかし、実際には世界は、この台風の目を中心に動いてゆきます。外の台風の荒れ狂う中にも、この目は静かに存在し、そしてこの周りの動乱を動かしてゆきます。どちらが王でしょうか。ローマ皇帝でしょうか、このユダヤ人の王キリストでしょうか。ここでユダヤ人の王とは、「真理の王」という意味です。イエスは答えられました、「私の王権は、この世からのものではありません」。地上にこの世に属する王ではありませんが、だからといって、抽象的な精神的王という意味でもありません。この地上を支配し、その地上に影響を与える王です。黙示録では、「王の王」と言っています。あなたにとって、このユダヤ人の王は、本当に王でしょうか。「微行者イエス」それは私たちの中に、いつも隠れた形で付き添っているキリストです。「それでもあなたは王なのか」。それほど、このお方は目立ちません。しかし隠れて私たちを支配しています。それゆえに王です。もう一度聞きます、あなたにとって、この方は、本当に王でしょうか。「スイスは人間の混乱と神の摂理によって支えられている」と言う言葉があります。スイスの歴史にかぎらず、すべて人間の歴史は、血と混乱で満ちています。まわりをごらんなさい。全くみにくい世界の姿、どうしようもない人間の愚かさ、残虐さ、そしてこの世の王たち、為政者たちは右往左往しています。しかし、その中で神の摂理の御旨はなって行くのです。人間の混乱のただ中で、神の御旨は勝利します。人間の混乱の歴史は、神の摂理の歴史に外なりません。そのことをこの十字架をめぐる受難のドラマは語っています。実に、「この人を見よ」と。この人をめぐって世界は動くのです。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


Copyright(c)2005 Setagaya Chitose-Church All rights Reserved.