5月14日(日)「真理の希望」説教要旨
   ローマの信徒への手紙 5章 1節〜11節

   ローマ書の4章までは、信仰によって義とされることが、5章からはその生活が、(義認に対して聖化が)記されます。聖化は文字通り、聖霊の業です。信仰は神の恵みからくるが、行いは、人間によるのではありません。「主はわがために命を捨てたまえり、われ何をなして主に報いん」と、信仰は神の恵み、行いは人間の業と二元的に考えてはなりません。そこでは私たちの生きることが問題になります。そこに艱難がきます、しかし「このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」とあります。つまり平和と希望が、苦難よりも先にあるのです。しかし、私たちでは多くの場合、聖霊の業よりも苦しみが先にきませんか。その証拠に今日の時代、平和と希望がありません。イラクのようなところ、テロ戦争のようなこと、それどころか、私たちの身の回りで幼い子が殺されます。どうしてこの時代に、平和や希望があるでしょうか。パウロは、平和と希望から始めますが、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを知っています。希望は私たちを欺くことがありません」と苦難と忍耐をとおしての希望を描くのです。私たちは一日でも生きるなら、そこに苦しみはつきものであることを知るでしょう。「他宗教では、苦しみや艱難は呪いであって、神否定のきっかけになります。御利益がないのは、だめな宗教ということになります。けれども、キリスト教においては苦難と十字架に決定的な道が見いだされます」。私たちはキリストを知る時、苦難に対してもイエースということができます。しかし、そこに、苦難だけがあるのではありません。信仰から出てくる平和があります。まさにこの二つのもの(平和と苦難)が必要です。それは希望という源泉から出てくる二つの流れです。平和がなくては、いらいらばかりして、神のものを待つことができません。また艱難なしには、単なるおめでたい願望でしかありません。十字架からくる希望、鍛えられた希望、これこそが、福音からくる生活であります。
 あなたは本当に「平和」をもっていますか。平和には「心の平和」と「他者との平和」と二通りあります。争いがないだけでは、真の平和とは言えません。恐れや不安がないことも、大切な平和の条件です。日本的平和は、「よろず和をもって尊しとする」で、集団の一致を守るために、押し付けがあり、そこに「恐れと不安」が起こります。家庭に平和がありますか。心に平和がありますか。人と人との間に平和がありますか。それらの本当の源は、神との平和なのです。信仰による義とは、罪深い者を、神が十字架のゆえに「しかり、イエース」といってくださったことです。その反対は、私たちの「ノー、否」です。ノーは反抗、憎しみ、争い、抑圧にほかなりません。「信仰によって義とされる」とは、このノーの世界のただ中に、神がイエースを言ってくださることです。罪とはノーでしょう。義とされるとは、神が受け入れてくださることです。ローマ15:7に、「キリストも私たちを受け入れてくださったのだから、あなたがたも互いに受け入れあって、神の栄光をあらわしなさい」とあります。このイエースは平和、受け入れ、信頼、愛です。今の時代はノーの時代です。それは現代社会では、科学技術とお金が支配し、宗教と信仰がおろそかになるからです。今ほど信仰が必要な時はありません。希望がないとはノーしかないことです。しかし、ここが大切です。このノーしかない時代に神のイエースが輝きます。「光は暗きにてる、しかし、暗きは光に勝たなかった」(ヨハネ1:5)。しかし、今日私たちの世界で、何と平和が難しいことでしょう。「悪を破る力なきは、この身すでに、悪魔なればなり、このゆえに懴悔洗礼を要す」と、田中正造は言いました。けれども、私たちの神との平和は、何と具体的でないことでしょう。頭だけの平和は、希望を生み出しません。神との平和は、希望のための戦いや苦難を恐れません。「神が私たちの味方ならば、誰か私たちに敵するでしょうか」(ローマ8:31)。平坦な道を歩めば歩むほど、私たちは人生について知ること少なく、ちょうどちゃんとした根をもっていない木のように、うわべだけで立っているのです。最初の嵐でその木は倒れるでしょう。人生の夜に沈み、嵐に絶望するのは、多くの艱難・試練をへてきた信仰の人ではなく、かえって苦労したことのない人です。幸せばかり求める人は、ちょっとした困難でつぶれるでしょう。しかし、イエス・キリストにより、神との平和を得ている人は、試練を通して希望へとつながるのです。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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