8月 6日(日)「 重荷を負うものわれにこれ 」説教要旨
   マタイ  11章 28節〜30説

  「すべて疲れた者、重荷を負う者は、われに来れ。われ汝を休ません」。
  こういうことが言える人は、世界中にいません。「これが真理だ」と言う人はいても、世界で誰一人、「わたしが道であり、真理だ」、「誰でも疲れている人、重荷を人は負っている人はわたしのところに来なさい」とは言いません。
  ポリカルプスが殉教の時、「キリストを捨てればゆるしていやる」と言われ、「キリストは、わたしの一生涯、わたしを裏切らなかった。今、この期におよんで、キリストを裏切ることはできません」と答えたそうです。
私も同じことが言えます。キリストを生涯、三度捨てましたが、キリストはいつも私を捨てませんでした。イエスを信頼して裏切られることは、ただの一度もありません。
  しかも「すべての人」です。私の労苦は特殊だと言って別扱いしてはなりません。「すべて疲れている者、重荷を負っている者は、皆」です。あなたも例外ではありません。この呼びかけには、あなたも入ります。誰でも、このイエス・キリストのくださる休み憩いを受けるに不十分だという人はありません。
  ホテルで休憩し、温泉で休むには、お金がいるでしょう。お金のない人には、その休みと憩いを手に入れることができません。しかし、今、キリストが、「休ませてあげよう」といわれる休みは、特別に何かして努力することはいりません。「この休み憩い」は、賜物です。全能の神から来ます。「わたしが休ませてあげよう」と言われ、それはあなたの力ではないし、わたしの力でもありません。皆さんも苦労の末、学んだのではありませんか。「ああ、心配する必要はなかった」と。
  「すべての思い患いを神にゆだねよ。神、汝のために思い患いたまえばなり」。


  思い患いは神のすること、その領分に侵入して思い患うのは、傲慢です。「神の力強い御手のもとに自らを低くしなさい」。あなたのすることは、「低くする」こと、謙遜になることでした。私は教育も同じではないかと思います。教育の基本は、何もしないで、神にゆだね祈ることです。しかも神の力強い御手のもとに、低くすることです。きっと心配している人は、この力強い御手を忘れていたのではないでしょうか。


   「疲れている」とは、肉体的重労働で、疲れ果てている人の事です。「重荷を負う人」とは、責任と重圧で、神経の消耗し切った人のことです。
確かに、私たちはこの方(イエス・キリスト)を知っている。しかし、それは机の上で聖書を開く時だけではないか、あるいは、教会にいる時だけではないか。死を世俗化などする必要はありません。聖書では、「死はいのちに飲まれてしまった」と書いてあります。死の力よりも、いのちの力の方が強いのです。「わたしが休ませてあげよう」と言われるお方がいるかぎり、大丈夫なのです。
  確かに私たちのすることはありません。しかし、何もしないで、見てさえいればよいのではありません。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 「わたしの軛を負い」です。


  「軛(くびき)」というのは、荷物を負う時、引っ張る時、牛などの動物にかけるものです。そんなものを負うなら、なおのこと疲れはひどくなり、荷は重くなるのではないか。違います。「軛」はくさりではありません。それは荷物を引っ張りやすいのようにする道具です。しかも、それは「わが軛」と、キリストの軛です。
  イエス・キリストがその軛を共に負ってくださる二頭立ての馬車を考えて見てください。信仰とは、イエスが引っ張る、それを私がそばで見ているのでなく、いっしょに引っ張るのです。キリストが、私のすぐ隣にいらしゃるから、私はその隣で引っ張ればよいのです。何と楽しいことでしょう。
  「軽き荷を重き荷物と思いつつ、背負い来たりし幾年つきぞ」と歌った人がいます。「わたしは柔和で謙遜な者だから」、皆さんは、柔和で心低いでしょうか。神の力強い御手のもとに自らを低くしなさい。休みがあります。ただ肉体に休みがあるのでなく、「魂に休み」をと書いてあります。現代の世界で本当に魂に休みがあるでしょうか。科学技術は人間を楽にするどころか、かえって忙しくし、心休まる間もありません。今、魂に休みをあげようと言われるお方を仰ぎ見なくてはなりません。


  主があなたと共におられるなら、「軛」はいらないのではなく、それはあなたと主を結び、主と連帯するために、ぜひ必要です、それは荷を軽くします、いや軽くするだけではなく、生ける神とあなたをつなぐ働きをするのです。あなたはこの神とつながれる時、初めて魂に休みをえます。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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