9月 17日(日)「神の選び」説教要旨
   ローマ  11章 28節〜36節

  「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」(ヨハネ15:16)とあり、信仰は神が主体であることは確かです。しかし、その選びは、確固とした法則のように不変な神の意志ではありません。選びの民も間違ったことをすれば、神の断罪を受けます。
  「悪を行うすべての人には、ユダヤ人を初めギリシア人にも、艱難と苦悩とが与えられ、善を行うすべての人には、ユダヤ人を初めギリシア人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。神には偏り見ることはない」、
  「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえって隠れたユダヤ人がユダヤ人である」(ローマ2:9以下)と。
  イエスは異邦人の百卒長に感嘆し、「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。・・・この国の子ら[選びの民]は、外のやみに追い出され」(マタイ8:10以下)と言い、また異邦人がかえって救われ、選びの民が捨てられることを、しばしば述べています。「神の選び」は、予定説のように決定的なものではなく、時々刻々変わるものと理解されます。信仰的決定論と共に、科学的決定論も反対しなくてはなりません。 「神はすべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」のです。

  しかし、聖書には二重予定と見られる箇所があります。マタイ二五章の「山羊と羊のたとえ」を見ても、世の終わりが来て、神は、救われる正しい者(羊)と滅びるべき悪しき者(山羊)とを分けます。しかしこれは二重予定ではありません。イエスの神の国のたとえは、「天国とはこのようなものである」と言っても、客観的に天国の状況を述べるのでなく、神の国に目覚めた信仰者の現在の生き方を示しています。
  タラントのたとえも十人の乙女のたとえも、今この地上での実存的態度を問うています。この山羊と羊のたとえも、旅人に宿を貸し、病人を見取る現在の行動が問題です。しかも、最も小さい者にした行動が、取りも直さずキリストにしたものとされるのです。したがってこのたとえを永遠の神の予定ととることはできません。羊に対しては、「世の初めからあなたがたのために用意された御国」と記されているのに、山羊の方には「世の初めから」の句がありません。
  最後の「永遠の刑罰」ですが、刑罰とか滅びが、永遠と言われる時、それは「アイオーン」という言葉です。もともと聖書には、近代哲学のような、「時と永遠」の考えはありません。この「アイオーン」という言葉も、非常に長い期間の意味です。ただ神を称える時、「アイオーン」は複数になります。それに対して「永遠の火」(マタイ18:8)、「永遠の刑罰」(25:41)、「永遠の罪(マルコ3:29)、「永遠の滅び」(Uテサロニケ1:9)も、「永遠の火の刑罰」(ユダ7)も「アイオーン(非常に長い時)」で神の永遠とは違った限定的な永遠です。 
  またローマ9章−11章の神の選びについて記した重要な箇所でも、パウロは決定論的平面にはいません。「わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。実際、わたしの兄弟、肉による同族[ユダヤ人]のためなら、この身がのろわれてキリストから離されてもいとわない」と、同胞ユダヤ人の救いのために、自分の救いを放棄してもよいという、実に深い愛、実存的平面にいるのです。「選び」ということは、「神の恵みの選び」であって、遺棄への選びというのはありません。このローマ書の「選び」の問題の結論もこうです。

  「福音について言えば、彼ら[ユダヤ人]は、あなたがた[異邦人]のゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられた者である。神の賜物と召しとは変えられることがない。あなたがたがかっては、神に不従順であったが、今は彼ら[ユダヤ人]の不従順によってあわれみを受けたように、彼ら[ユダヤ人]も今は不従順になっているが、それはあなたがた[異邦人]の受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込めたのである。ああ、深いかな、神の知恵と知識との富は、そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。・・・万物は神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように」(ローマ11:28以下)。
  このように、パウロにとって、神の選びは、一本道ではなく、二つの道の弁証法的展開で、そこに神の深いはかりごとを見るのです。決して二重予定ではありません。「神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込めたのです」。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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