10月 8日(日)「アガペーとエロース」説教要旨
   マタイ  22章 34節〜40節

  聖書の著者たちは、神の愛を表すのに、「アガペー」という語を用いました。当時ギリシア人が用いていたエロースの愛を退け、新約聖書の中で一度も用いていません。今日、私たちは「アガペーとエロース」と対比する時、エロースは人間の愛一般と考えて差し支えないでしょう。
  今、律法学者が聞きました。「一番大切な戒めはどれですか」と。繁雑な現実の中で、どれが一番大切な戒めか分からなくなりました。しかし、「一番大切な戒め」と言われたのに、イエスは一つでなく二つを示しました、
  このことが重要です。私たちにとって二つのうちいずれか一つを取っても、両方が見えなくなるからです。一つは神への愛で、今一つは人への愛です。神への愛は、隣人愛の源泉・根拠ですし、隣人愛は神への愛の具体的証しの場所です。神への愛を失った隣人愛は、現実の罪に出会ってもろくも崩れるでしょう。ヒューマニズムですべてと思う時、人間の罪が計算に入っていないのです。また反対に、隣人愛のない神への愛は、抽象的で具体性に欠けています。  

  私たちはいずれかに分けていないでしょうか。信仰と行動、教会派と社会派と。しかし、イエスは二つを分けずに、一番と言った時、両方を示されたのです。
  ここで第一と第二との関係をイエスは、これと「同様」と言われたことに注意しましょう。聖書は、永遠なものと現実具体的なものとを、比べるのに、「のように」と言う言葉を使います。「御心が天になるように、地にもなさせたまえ」。「私たちが罪をゆるしますように、私たちの罪をもおゆるしください」。
  これは「類比(アナロギア)」と呼ばれます。それは大きな月が池に映っているのにたとえることができます。池に映っている月は、本物の月ではありません。しかし、それは本物の月を映しています。細かいことは分かりませんが、今日は満月か三日月かぐらいは分かります。
  第一の神への愛と第二の人への愛は、第一と第二の区別はあります。しかし、それは別々ではありません。類比しているのです。神がなければ、また神への愛がなければどうでしょう。私たちは、人間につまづきます。「兄弟よ罪の前にたじろいてはなりません、罪のままの人間を愛しなされ。これこそ神の愛に似たものです」(ドストエフスキー)。私たちを罪のつまづきから立ち上がらせるのは、「神」です。しかし、神への愛だけなら、私たちはいい気になるでしょう。隣人と違って、神は見えないのです。こうして目に見える人への愛は、神への愛の試金石です。  

  しかし、「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」。原語の順序では「愛しなさい、あなたの隣人を、あなた自身のように」です。それでここでは、「自分自身をエロースする、利己的に愛する」。それはだれでもする、悪いことだが、その熱意は、誰にも劣らない、その熱意を隣人愛に向けよと言うのでしょうか。それとも、「自分自身を愛することは、よいことだ、たとい利己的であっても、それは肯定すべきだ。自分自身をすら愛せない人に、隣人は愛せない」という積極的意味なのでしょうか。つまり自分自身への愛を肯定しているのでしょうか。それとも、自己愛はいけないが、反面教師的に、そのものすごさを学びなさいと言っているのでしょうか。  

  キリシタンの時代、愛は「大切にする」と訳されたそうです。これなら、「自分自身を大切にすると同じように、あなたの隣人を大切にしなさい」。私たちは本当に自分自身を大切にしているでしょうか。自分自身を粗末にする人に、どうして他の人を大切にできるでしょうか。つまりエロースの愛が決して否定されていないのです。
  たとえば、親子の愛、恋愛、友情、これらはみな自分が好きな人、愛したい人びとです。ですから、そこには必ず自己愛がひそみます。自己愛がひそむということは、罪が宿ることです。エロースには、たえず罪がまといつきます。だからこれは否定されるのでしょうか。先ほどの類比を思い起こしてください。そこでも神の愛を指し示すことはできます。第一のアガペーの要素が入ってきます。第一の神への愛と第二の隣人愛とは、「同様」で結ばれました。この自己愛(エロース)と隣人愛(アガペー)とは、「ように」で結ばれます。これも類比です、アナロギアです。
  このことを、最もよく分かりやすく説明しているのは、先ほどのドストエフスキーの言葉です。「兄弟よ罪の前にたじろいてはなりません、罪のままの人間を愛しなされ。これこそ神の愛に似た[類比]ものです」。エロースという自己愛のただ中で、アガペーの花が咲く。ハスの花は、泥沼に美しい花を咲かせるではありませんか。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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