11月 5日(日)「神さまはどこにもいる」子供の日礼拝説教要旨
   詩編  139.7-12

  「神さまはどこにいるのでしょう?」 お母さんのおなかの中にいる子供が、「お母さんはどこにいるの、お母さん何って見えないじゃない」と言ったとします。
  その子は、お母さんのおなかの中にいるし、お母さんの方が大きいので、お母さんの顔が見えないのです。
  そのように、神さまの中に私たちはいるので、神さまが見えないのです。しかし、おなかの中の子供も、おぎゃーと生まれてこの世に出れば、お母さんの顔を見ることができるでしょう。そのように私たちも、神さまの国に生まれれば、その時、神さまのお顔を仰ぐことができます。
「私たちは今は、鏡に映しているように、おぼろげに見ていますが、しかし、その時には、顔と顔をあわせて神さまを見るでしょう」(Tコリント13:12)。

  今日の聖書、詩編139には、「わたしはどこに行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこに行って、あなたのみ前を逃れましょうか。わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海の果てに住んでも、あなたのみ手はわたしを支えられます」とあります。
  孫悟空は、世界を飛び出したと思って、そこに字を書いたら、それはお釈迦様の指だったという話もあります。放蕩息子は、お父さんのそばを飛び出し、遠い国に行って、無一物になった時、初めてお父さんのことが分かりました。そしてお父さんのところに帰って行きました。
  そのように、私たちは、神さまから遠くに逃げたと思った時、最も神さまに近くにいるのです。もしこの教会を遠く離れようと思って、西に走りだし、ついに飛行機に乗って飛んで行くとします。まず中国にゆき、さらにインドに逃げ、もっと西に行けば、イラン、イラク、そしてヨーロッパの国々、さらに行くとアメリカです。そしてさらに西へ行くと、ハワイです。するともう日本に近くなっています。
  そのように、私たちは神さまから離れたと思った時、実は神さまに近づいているのです。私もあるとき、神さまから離れました。その時、実は最も強く神さまに捕らえられました。

  神さまはどこにでもいるので、私たちは決して神さまから逃れられないのです。神さまはきっとあなたのそばにもおられますよ。あまり神さまが近いので、神さまが見えないのではないでしょうか。さきほどの詩編の続きは、「やみはわたしを多い、わたしを囲む光は夜となれと、わたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたにはやみも光も異なることはありません」とあります。

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


Copyright(c)2005 Setagaya Chitose-Church All rights Reserved.