5月6日(日)「真理に従えば力あり」説教要旨
Uコリント13:3-8

  私たちはいつも「力」をもちたいと思います。何をするにも力が必要だからです。しかし、「力」といっても、腕力だけではありません。能力もあります。仕事をするには、何らかの能力が必要です。お金の力も必要です。お金の力なしには、会堂ひとつ立たないでしょう。
  しかし、力は皆もっているのではないでしょうか。聖書は、「わたしたちは、真理に逆らっては、何をする力もなく、真理に従えば力がある」と言っています。私たちが「力」という時、金にせよ能力にせよ、私たちの側にあるもののみを見ています。ルターの言葉を借りれば、「自分のへそばかり見ている」ことにならないでしょうか。
  聖書は「真理に従えば」と、向こう側にあるものを見ます。事をなすのは、こちら側の力だけではありません。力は真理とペアです。真理とは、神の真理です。それは具体的には、愛と言ってもよく、正義でもよく、公平、平等、いくらもあります。ともかくそれは向こう側の真理です。向こう側の真理がある時、こちら側の力が出てくるのです。
  私は、ある時、教会は神が造るという信念をもちました。「神は事をなしたもう」。この真理に従えば、力が出てきます。しかし、人は言うかも知れません。それは教会とか信仰上のことなら、真理と言えるけれども、私たちは日常生活で、そんな高尚な真理と接している訳ではありません。主婦は、今日のおかずをどうしようか、あるいは、子供を育てることに手一杯です。また仕事している人は、真理などとは縁遠く、今日いくら儲けるかということが問題です。
  けれども、そうでしょうか。主婦が、今日のおかずを考える時、「真理」はないでしょうか。食事こそ健康の源ではありませんか。子供を育てることにも、真理があります。子供自身が、選ぶものを貴び、親があくまでも、それに耳を傾けることこそ教育の真理です。商売、しかし、最近、不正が見つかって、つぶれそうになった会社があります。「商人は損して得取れ」とも言います。そこに真理がないでしょうか。「正直は最良の政策なり」です。

  さて聖書は、力について語る前に、無力について語ります。そこが聖書のすごいところです。そこで「キリストはあなたがたに対して、弱くはなく、あなたがたのうちにあって強い。すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように私たちも、キリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共にに生きるのである」。
  力・真理、それはキリストです。キリストにある者は無力さの中で、かこったり、不平をならべたりしてはいけません。キリストの中心は十字架、それは無力のしるしです。弱さに過ぎません。しかし、それが真に勝利したのです。
  この十字架こそ、キリストにある弱さと強さが交差するところであり、そこで、使徒の証しと戦いが前進し、勝利が明らかになって行くのです。現実の教会は、問題・争い・迷信・動揺にみち、弱いところです。この世の諸団体のもっているもので、教会にないものはないくらいです。
  しかし、教会がもっているもので、この世がもたないただ一つのものがあります。「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、しかし、神の力によって生きておられます」という厳然たる事実です。あなたは、それを持っていますか。この一筋につながっているかぎり、教会はどんなに混乱していても、「キリストのからだ」であり続けることができます。その時、「それでわたしたちもまた、弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によりキリスト共に生きています」と言うことができるのです。
  その事実は、教会のことだけでなく、先ほど言った、主婦の問題、子育ての問題、商売上の問題にも言えることです。力があることは、また力がないことです。「われ弱き時に強し」です。「わたしたちは、真理に逆らっては、何する力もなく、真理のためには力があります」。 大切なことは真理にたつことです。力は真理からきます。真理に逆らった権力は長続きがしないことは歴史の証明するところです。またわたしたちの弱さも、そこでは問題になりません。なぜなら、真理に従えば、わたしたちは弱さの中にも力を与えられるからです。そこで大切なことは、「自分が信仰の中にあるかどうか」、「あなたがたの中にイエス・キリストがおられるということ」です。
  パウロはここで「信仰をもつ」とは言いません。「信仰の中にある」と申します。それはほかでもなく「イエス・キリストがわたしたちの中にいますこと」です。イエス・キリストがわたしたちの中にあるかどうかを、吟味したなら、あとは大胆に進むのです。それが真理に従った道であります。ルターは自分のへそばかり見ている信仰はだめで、「大胆に罪を犯しなさい。そしてより大胆に信じなさい、そして神をあがめなさい」と言いました。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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