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5月27日(日)「前 の 聖 霊」説教要旨
Tコリント12:1-3
 「前の聖霊」 の「前」とは、「信仰をもつ前」の意味です。しかし、信仰をもつ前に聖霊があるのでしょうか。
聖霊とは、信じて後、祈っているうちに下るものではないでしょうか。けれども、伊達教会で夕拝に毎回来ていた求道者が、「説教が全然分からなくても、何かひかれて礼拝に行っていた。それで私はキリストより先に、聖霊が分かった」と言っていました。これは特別な例でしょうか。違います。
 今日の聖書の箇所、Tコリント12:3に「聖書によらなければ、誰もイエスを主ということはできない」とあります。逆に言えば、「キリストを信じている人は皆、聖霊を受けている」ことになります。それは信仰前ではありませんか。あなたが洗礼を受けたのは、自分の決断でしょうか、それとも神さまの側の計らいでしょうか。あなた教会に来ている、そのことが、すでに「前の聖霊」を受けているのです。しかし、言うでしょう。「私は、洗礼を受けましたが、聖霊を受けた記憶がありません」。前の聖霊は、それほどいちじるしくありません。自分でもそれと分からないほどです。クリスチャンホームに育った人は、概して静かな聖霊です。ペンテコステの霊は、激しい火でした。しかし、皆さん、イエスが洗礼を受けたとき下った聖霊は鳩のようでありました。鳩のような静かな聖霊も、すばらしいのです。
  つまりここでは、第一に聖霊は、イエス・キリストを神の子として認識させるもの、その信仰を与えるものにほかなりません。
しかし、聖霊にはそれだけでなく、プラス面だけでなく、マイナス面があります。
 イエスの荒野の誘惑の記事には「さてイエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ引き回されて、悪魔の試みにあわれた」(ルカ4:2)とあります。イエスは、この試みをへて悪魔に勝利したのです。「悪魔はあらゆる試みをつくして、一時イエスを離れた。それからイエスは御霊の力に満ちあふれガリラヤに帰られた」とあります。つまり、荒野の試みというマイナス面は、さらに大きなプラス面のためであります。
 使徒行伝16:6に、「それから彼らは、アジアで御言葉を語ることを禁じられたので、・・・ビテニアに進んで行こうとしたら、イエスの御霊がこれをゆるさなかった」とあります。聖霊は、伝道を禁じたり、ゆるさなかったりするのでしょうか。しかし、荒野と同じように、聖霊のマイナス面には、実はそれよりもはるかに大きなプラス面があるのです。そこから次にヨーロッパ伝道の幻が開けてきたからです。聖霊のおしとどめるのは、私たちが高く飛ぶために、低く身をかがめるようなものです。聖霊のマイナスは、より大きなプラスであることを忘れてはなりません。
 次ぎに聖霊は、とりなし、助け、慰めます。ヨハネ福音書には、聖霊は「助け主」とあります。新共同訳では「弁護者」パラクレートスと訳しています。パラクレートスのパラとは「そばに」です。クレートスとは、「語る人」です。私のそばにあって、語ってくれるお方です。「弁護者」、「助け主」、「慰め主」とも訳されます。聖霊は実に、私のそばにいて助けてくださるのです
 ローマ八章には、「同じように聖霊もまた弱い私たちを助けてくださる。なぜなら、私たちはどう祈ったらよいか分からないが、御霊自ら、言葉に表せない切なるうめきをもって、私たちのためにとりなしてくださる」(8:26)とあります。「とりなし」は、原語でヒュペル・エン・チュカネイ(ために・中に・出会う)です。「私のために、私の中に入って、私に出会う」。それが聖霊のとりなしです。それはもっと詳しくは、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画にしたがって召された者と共に働いて、万事を益としてくださる」ことです。聖霊が、私に入ってとりなしてくださる時、「共に働く」のです。
 では「何と共に?」、もちろん、私たちと共にですが、「万事と共に」でもあります。マイナス面も含めてです。病気や失敗がとてもよかったという人があります。それも益に働くのです。
 最後に「聖霊の力によって望みにあふれさせる」(ローマ15:13)。聖霊は神の国の保証、担保と言われます。「その保証として、私たちの心に聖霊を賜った」(Uコリント1:22)。「神はその保証として御霊を私たちにくださった」(Uコリント5:8)。「この聖霊は、神の国をつぐことの保証である」(エペソ1:14)。このようにあります。
 つまり、今、聖霊をいただいているのは、来るべき神の国の約束の担保、保証です。それは神の国の希望を指し示しています。今は希望のない時代です。しかし、今希望を失ってはなりません。聖霊を受けていることは、どんなに気づかないほど静かなものでも、それは鳩のように
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ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。 |
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