6月3日(日)「 サ タ ン の 効 用」説教要旨
ヨブ記1-6-12、Uコリント12:7-10

  サタン(悪魔)は凸レンズと凹レンズをもっています。苦しい時、悪魔は、神さまに凹レンズをあてて、「神は小さいよ」と言います。そして苦しみに凸レンズをあてて、「あなたの出会う苦しみは大きいよ」と言います。苦難に出会う人にとって、いけないのは、苦難そのものよりも、その苦難で自分はだめになるのではないかと心配することです。その心配・思い煩いが悪魔です。
  創世記の初めに蛇(悪魔)が出てきます。「主なる神の造られた野の生き物のうちで、蛇が最も狡猾であった」とありますから、蛇は神の創造物です。神の世界にサタンがいるのは、神の世界の不思議な逆説的摂理です。劇薬が用いようによって、治療に役立つように、悪もまた用いようによって、善となるのです。
  今、蛇は凸レンズを人間にあてます。「善悪を知る木の実をたべると、人間は目が開け、神のように善悪を知る者となるでしょう」(創世記3:5)と。人間よ、お前は、神のようになれるのだよ。あのバベルの塔の物語もそうでした。神に届く塔を建てようと。それは人間の知識の傲慢です。悪魔は、その凸レンズを用いて、人間をおだてるのです。そして、神さまに凹レンズをあてるのです。人間を大きく見せ、神を小さく見せる、それがサタンの誘惑です。「あなたの神は小さすぎはしませんか」。
  「善悪を知る」、それはよいことでしょう。しかし、サタンは二つ間違っています。
  1.園の中央にある木(神の手にあるの)です。善悪を人間が自分でにぎり、世界の中央に立つことがいけないのです。しかも、善悪を知るだけなら、原理主義になります。
  2. それは「いのちの木」とペアであることを忘れてはなりません。そこで「大いなるいのちの流れ」を忘れてはなりません。サタンは、人間を原理主義者にさせるのです。神を仰ぎ神に聞くことによって、私たちは善悪をわきまえるのです。その時、いのちが神から与えられるのです。善悪を知るだけの原理主義は、ただ人をさばくだけです。

  ヨブ記ではサタンは、「ヨブは、利益もないのに神を敬うでしょうか。御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」と言います。ヨブはサタンの試みに苦しめられます。ヨブの苦しみは、自分は何も悪いことはしていない。それなのにどうして、このような不当な苦しみを受けるのかということです。私たち苦しみが大きい時、それは誰でも感じることではないでしょうか。
  サタンはヨブの苦しみに凸レンズをあてました。しかし、友人たちは皆、原理主義者で「お前は何か悪いことをしている、悔い改めなさい」と言います。原理主義者は、善悪の説教だけして、いのちを与えませんでした。しかし、ヨブの問いの回答は、パウロが出してくれます。「そこで高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげ[慢性病]が与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。このことについて、彼を離れ去らせてくださるようにと、わたしは三度主に祈った。ところが主は言われた、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱いところに、完全に現れる』。だから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。わたしは弱い時にこそ強いからです」とあります。パウロは、病気をわたしを打つ「サタンの使い」と言っています。「神の使い」ではありません。
  しかし、このサタンの不合理の苦しみの中にも、神がいます。それは「わが恵み汝にたれり。わが力は弱きうちに全うされる」と、サタンの背後にある神を見る時、私たちはサタンの効用がわかります。傲慢にならせないためのもの、そこにも恵みがある、それは打ちのめされた弱さの中に働く神の恵みです。

  現在、普通の人が世紀末的悪魔的現象を感じるようになりました。しかし、サタンは、神の御手にあります。それが救いです。
  「希望するということは、地平をつきぬけて見るということです。私たちの世界の迫り来る破壊を『つきぬけて』、神の正義と生命の御国を『見る』人は、今ここですでに、この来りつつある御国に対応して生きかつ行動し始めます。神の新しい世界への希望に基づく行動は、この世界の外観やあらゆる成功の見込みに逆らってのもので逆説的です。紀元前587年にエルサレムがバビロニア人によって破壊された時、預言者エレミアはアナトテに土地を買いました。それは生命に対する逆説的な肯定でありました。ルターは、もし明日世界が滅びるとしたら、何をするかと問われた時、『それでも私は、今日一本のリンゴの苗木を植えるでしょう』と答えました。私たちもやはり今日、リンゴの木を植えようではありませんか」(モルトマン)。
  神のもとに「いのちの木」が、「善悪を知る木」と共に植えられています、そのことを信じ希望をもち、今日一本のリンゴの木を植えましょう。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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