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10月7日(日)「愛と自由−神と人の本質」説教要旨
イザヤ49:14-18 ガラテヤ5:13-15
 神の本質は「愛」と「自由」です。この神の本質は、また私たちの本質でもあります。
 私たちは、神の本質を共有することができるのです。フランス革命の原則も、「自由・平等・愛」でした。しかし、愛と言いながら、革命の同僚までもギロチンにかけ、血なまぐさい「自由・愛」でした。
 そこで第一に「自由」とは何か考えてみなければなりません。
 「今日、人権とか自由とか言うけれど、自由とか人権というものが、何なのか、その背後にあるものを考えてみないと、人権とか自由は、自己主張の別名になり、下手をすればエゴイズムになりさがる」と言われます。「信教の自由、言論の自由、集会結社の自由」、みな民主社会で大切なものですが、そこには信仰的背景があるのです。
 これらは「からの自由」です。「からの自由」は、自分たちの自由です。そこに自分がつくから、エゴーにとらわれます。ではわたしたちは「どこへ行くのか」、「何を目指して、自由なのか」考えてみる必要があるのです。それが「への自由」です。
 自由とは、「人間がほんとうに人間らしくあること」です。放蕩息子は、自由を求めて、財産を要求し、父親のきずなから自由になり、お金も自分の思うように使おうとしました。しかし、その結果、乞食同然になり、食べるものにも窮し始めました。彼の自由とは、自分の欲望のままにふるまうことでした。自由とは実は、欲望の奴隷だったのです。今日、自由と言われるものも、そうではないでしょうか。自由は愛と結ばれなくては意味がないのです。父のもとへ帰って、初めて真の自由があるのです。
 「自由へとキリストはわたしたちを解放してくださった」ことを、はっきりと心にきざまなくてはなりません。わたしたちの自由は、キリストと結びついています。そうでないと自由を「肉の働く機会」とする、そういった自由が幅をきかせるようになります。
 自由の反対は律法主義です。それは、わたしたち人間を鋳型にはめ、原則を押しつけ、他律的な人間をつくります。  案外、わたしたちの教育が、親や教師の理想や信念の押しつけであったりします。その時、子供の自由は阻害されます。「教育がよくいっている場合は、子供自身が眼を輝かせ、生き生きとして、自発的に活動し、創造的にいろいろなものを自分から作り出すことができる時だ」と言われます。教育もまた自由へと、子供を育てることではないでしょうか。
 キリストの福音こそ、自由な自律的人間を作ります。それは自分から自由に判断し、決断できる人です。それは「このことはしよう」、「あのことはすまい」と考え、イエースとノーをはっきり口に出して言うことのできる人のことです。日本人は、これが下手です。
 不自由とは、反対にイエースとノーとがはっきり言えない状態です。したがって自由には、いつも決断と責任がともないます。わたしたちは肉欲を決断してきめることはありません。それは決断ではなく、ただずるずると誘われ引かれてゆくのです。したがって、そこには責任がありません。本能に流されているからです。
 「キリストにあっては、ただ愛によって働く信仰のみが力があります」。律法主義はいつも過去が問題です。しかし、キリストにあっては過去に割礼を受けたかどうかは問題ではありません。大切なのは「ただ愛によって働く信仰」です。洗礼において、キリストにあって自分に死んだ人間が新しく愛に生きはじめる、それが信仰によって義とされた人間の歩みです。愛だけなら、自分勝手な愛もあります。その背後に信仰がなくてはなりません。
 神を信じてはじめて、人を愛しうるのです。信のない愛は、自分勝手に動きやすく、愛のない信は、内容のない空虚な信仰でしかありません。信仰はこのように、愛によって働くのです。つまり愛を通して活動し、生み出し、影響を与えるのです。
 さらに「霊によって歩きなさい。そうすれば肉の欲を遂げることはないでしょう」とあります。
 インドの伝道者サンダーシングが、ヒマラヤの山中を伝道旅行していた時、道に迷い分からなくなって、その場に伏して祈りました。すると不思議、向こうの峰に天使が手招きしているのが見えたのです。同じようなことを繰り返して、ついに目的の村に着いたということです。
 そのように「霊によって歩く」とは、祈りつつ、神に導かれることであります。もちろんそこには戦いもあります。ある意味で霊によって歩くとは、信仰の戦いの中に身を置くことを意味しています。信仰することによって、戦いがあることは、新しい問題を抱えることで、それは進歩のしるしなのです。人間でもただ本能にしたがって生活しているだけなら、そういう新しい課題をもちません。けれども、信仰において新しい問題に取り組む人のみ、本当の「自由と愛」の勝利の栄冠をかちえるのです。
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