11月25日(日)「汝の敵を愛せよ」説教要旨
マタイ5:43-48

  「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして天にいます父の子となるためである」。  

  「なんじの敵を愛せよ」これはだれでも聞いたことです。
  しかし、そんなことは理想であって、現実には起こりえない。私たちにはできないから、私たちは自分にできない「敵を愛する」など大それたことをしないで、パウロの助けを借りて、この愛することのできない罪深い者をも、ゆるしていただける福音があると考えていないでしょうか。
  しかし、「父よ、彼らをゆるしてやってください」と祈った十字架の上のイエスは、自分を十字架についけている当の敵のために、ゆるしを祈られたのです。
  今、あなたはパウロを引いて、「罪深い者のゆるし」を語りました。しかし、「罪深い者」とは、すなわち「敵」ではないでしょうか。あなたは自身、その敵ではないでしょうか。そして敵である罪人として、愛されたのではないでしょうか。
  今あなたは「罪のゆるし」を信じています。あなたは、「なんじの敵を愛せよ」からは逃れて、「罪深い者(敵)のゆるし」に行くのですか。その二つは同じことなのです。神の敵(罪深い者)である私がゆるされたことを信じるなら、あなたは「なんじの敵を愛せよ」の戒めの下にあるのです。そうでなければ自己矛盾におちいるはずです。  

  主の祈りの第五祷に「われらの罪をゆるす者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」とあります。
  「罪」を「敵」ととり、「ゆるす」を「愛する」と考えて見てください。「罪のゆるし」と「敵を愛する」ことは同じであると分かります。変えてみましょう。「われらが敵を愛するごとく、われら敵である者を愛してください」。あるいは「われら敵である者を愛してください。私たちの敵を愛しますから」となります。  

  「なんじの敵を愛せよ」は、理想だ不可能だという人よ。
  では何がよいのですか、その反対を考えてみましょう、「隣り人を愛し、敵を憎め」です。それが真理だ、それが現実だと説くと、「そんな馬鹿な、そのような教えでは、世の中闘争ばかりになる。それが宗教か」と、あなたは言うでしょう。そんな信仰はないと言うでしょう。反対は成り立たないのです。  

  しかし、この「なんじの敵を愛せよ」を、ただユートピア、理想としないで、実現して成功した人がいます。黒人解放運動の先頭に立ったキング牧師です。
  彼はガンジーの影響を受けました。ガンジーはトルストイの影響を受けました。トルストイは、ルターより百年も前に宗教改革した、チェコの改革者フスの影響を受けたそうです。
  それはみな私たちの信じているイエス・キリストのこの御言葉の影響を受けています。そして四人とも非業の最後を遂げました。それほど敵を愛することは、大変なことなのです。そういう、偉い人のみできることです。

   しかし、私たちにもできることが、あります。「敵」とは誰でしょう。案外身近かにいます。イエスは「その家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ10:36)と言われました。案外、愛している者が、「かわいさあまって憎さ百倍」となります。その敵を愛することなら、キング牧師のような偉大な人でなくてもできるでしょう。
  いや、できない、あの憎んであまりある者を愛することは不可能だと言うかも知れません。しかし、そのようなあなたのために、イエス・キリストはさらに言葉を加えました。「迫害する者のために祈れ」、祈ることならできるでしょう。和解こそが、キリストの福音だからです。  

  さらに「こうして天にいます父の子となるためである」と、その目的が記されています。あなたは神の子となるのです。それは太陽が、よい者にも悪い者にもその光と暖かさを送るように。天は雨を、正しい者にも正しくない者にも降らせてくださるからです。
  しかし、もう一つの理由があります。「自分を愛する者を愛したとしても、それはあたりまえ。信仰のない人でもします」。敵こそ愛に値する者なのです。  

  キング牧師は言っています。「あるよいものが、私たちの最も悪い者の中にもある、またある悪いものが、私たちの最もよい者の中にもある」と。
  またイエスが決して「なんじの敵を好きになれ」と言われなかったのは、幸いですとも言っています。世の中にどうしても好きになれない人はいるものです。イエスがなんじの敵を愛せよと言われた時、それはエロスでなくアガペーをいっているのです。それは万人に対する理解、創造的、贖罪的アガペーを言っているのです。「愛は、敵を友に変える唯一の力である」といっています。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


Copyright(c)2005 Setagaya Chitose-Church All rights Reserved.