5月9日(日)「 少しの断片が今日見えるように 」説教要旨

           聖句
旧約 「貧しい者をあざける者は、その造り主を侮る。人の災いを喜ぶ者は罰をまぬか れない。孫は老人の冠である。父は子の栄えである」
  (箴言17:5-6)

  新約 「しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじまめた。
   すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントを差し出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
   主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人といっしょに喜んでくれ』」
  (マタイ25:18-21)
 

    このタラントのたとえでは、面白いことに、たった一タラントしか与えられなかった人に焦点があてられています。英語でリトル(少ししかない)とア・リトル(少しある)の違いを習ったことがあります。同じリトルでも、片方は「少しある」で積極的です。それに反しもう一方は、「少ししかない」と消極的です。  
   タラントは銀の目方で34キロ、今の貨幣価値で二百万円はするでしょう。一タラントも相当な額です。しかし、神さまから見れば、五タラントも「わずかなもの」。与えられたものが、多いとか少いの問題ではなく、そのわずかなものに忠実であるかどうかが、このたとえの中心問題なのです。  

    バルトは、人間の罪を、キリストから考えて、1 傲慢 2 怠慢 3 虚偽に分けました。キリストが僕となられたのに、人が自分を誇るなら、それは傲慢の罪で、神の恵みを忘れているのです。しかし、キリストが勝利しておられるのに、「駄目だ、絶望だ」と言って何もしないなら、それは怠慢です。恵みが勝利しているのに、すべてを消極的にとり、「少ししかない」という罪、それが、この一タラントを与えられた人の怠慢の罪です。それはひねくれ、そねみを生みます。  
   こう見てくると、実は傲慢の罪も、怠慢の罪も、同じ根から出ています。怠慢も一種の傲慢なのです。いずれも、神さまが小さいのです。怠慢、絶望、消極的、控えめ、遠慮、みな傲慢なのです。「あなたの神は小さ過ぎます」。神は一つしか与えないと思い、神の偉大な力を忘れているのです。神は、
「あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを任せよう」
と言います。神は多くのものを任せることができるほど、大きなお方なのです。「あなたの神は小さ過ぎます」。  

    この人は、行って神からの一タラントを地面に隠しておきました。あなたは、どんなに少なくても、何か与えられているはずです。それを働かせなさい。何かできます。地面に隠しておくとは、それは自分の小さな枠しか見えないで、自分だけに生きているキリスト者の姿です。「大胆に罪を犯せ。しかしてより大胆に信じ、神をあがめよ」とルターは言いました。「それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった」。  
   まず第一、この一タラントは、あなたの金でなく、「神さまの金」でした。今、地上であなたに貸し与えられているだけです。神さまのものに多い少ないはありません。銀行に預けること、頭を働かせれば、あなたにできないことはありません。

    この一タラントの人の言葉は、いつも「駄目だ、絶望、仕方がない」こう言う言葉です。この人の、神さまの印象は、
「ご主人さま、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり」
つまり神さまは恐ろしい人という印象です。「神のさばき」、そういう恐ろしい面をだけ見る宗教もあります。オカルト宗教です。しかし、イエスさまの父なる神さまは、恵み深い神さまであります。この人はいつもマイナス面からのみ人生を見ています。しかし、神は、私たちのマイナスさえもプラスに変えてくださいます。

    最後に、ここでは
「おおよそ持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう」
とあります。それがどうして恵み深い神なのですか。神さまは貧しい者には与え、富める者からは取り上げるのではないですか。
   そうではありません。「信仰を持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、信仰を持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう」なのです。つまり小さな自分の物にこだわって、他の人のものと比べ、多いの少ないのという人は、人間のことしか見ないのです。そこには、その恵みへの信仰もありません。

    問題はそこです。「あなたの神は小さすぎます」。傲慢ないばっている人も、小さく固まってこだわって自分のものに汲々としている人も、同じです、「あなたの神は小さすぎます」。恵みを仰ぎ見なさい。神のスケールの大きさを見なさい。
   一タラントの人は、もう一タラントもうければいいのです。こういう数学を知っていますか。五タラントが、もう五タラントなら、五割る五は一です。二タラントの人も二割る二は一です。すると一タラントがほかにもう一タラントだけもうければ、それは一割る一で、一です。すべて百%です。これが神の数学です。
「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人といっしょに喜んでくれ」
わずかなものに忠実、その時、神は多くのものを管理させてくださいます。
「主人といっしょに喜んでくれ」
神と共にある喜びの人生が開けてきます。「少しの断片が今日見えるようにしましょう」。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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