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7月4日(日)「人生の三大事件」説教要旨
  聖句
旧約 「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり」  (伝道の書3-1-4)
新約 「女が子を産む場合には、その時がきたというので不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生まれたという、喜びがあるためである」  (ヨハネ16:21)
  「人生の三大事件」というのは、誕生と結婚と召天(死)です。聖書によると、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女に創造された」 と、神は初めに、男女のカップルを造られのです。
 しかし、創世記の2:7には、「主なる神は、土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」 ここでは一個人の誕生が先にあります。ただ現在はっきりしていることは、男性なしに人は生まれないけれども、男性も女性も、女からしか生まれないことです。つまり「交わりなしには、生命はない」と言うことです。人という字は、二つの棒からできている。いずれを取ってもなりたたない。しかも、二つの棒は並行線ではない、交差してバツ(×)点でもない。人は二つの棒が支えあってできているのです。
  今日の聖書に、「女が子を産む場合には、その時がきたというので不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生まれたという、喜びがあるためである」 とあります。それに続く言葉は、「このようにあなたがたにも、不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そしてあなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によってくださるであろう」
 すると、誕生は、本来、喜びであるが、そこには不安がともなう。人生の大事件は、喜びと不安がともないます。それはすべて生みの苦しみです。人生の苦しみは、「試練」でもありますが、試練と共に、「生みの苦しみ」です。そうでなければ、本当の積極的な新しいものは生まれてこないでしょう。そして誕生の次に育てることがあります。「案ずるより生むがやすい」。しかし、「生むより、育てることが難しい」のです。このように人生の大事件には、喜びと共に苦難がともないます。
  さらにヨハネ福音書は続きます。「あなたがたは今信じているのか。見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、私を一人だけ残す時が来るであろう。いやすでにきている。しかし、私は一人でいるのではない、父がわたしと一緒におられるのである。これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」(16:31-33)
 この意味は、十字架の時、つまり苦難の時、弟子たちは、皆自分の殻に閉じこもって、ばらばら、ちりちりになる。しかし、それでもなお、イエス・キリストは一人孤立しているのではない。父と共にいるのです。「神われと共に」、この事実を話したのは、あなたがたに平安を与えるためだと、キリストは言っています。 人生の喜びには不安がともなう。その時、誕生が結婚の交わりを通してくるように、ここには、イエスが一人だけではなく、父との交わりの中にいる。
  それは天地万物の初めにある真理、「インマヌエル、神われらと共に」です。この交わりの真理が生きている、その似像が、人が女と男とに造られた姿です。そこに新しい生が生まれるのです。男女の交わり、結婚とは、「インマヌエル、神われらと共に」という、永遠の真理の現れなのです。そこから誕生、新しい子が生まれるのです。そこには育てる課題があります。
しかし、不安もともないます。「あなたがたは今信じているのか。見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、私を一人だけ残す時が来るであろう。いやすでにきている。しかし、私は一人でいるのではない、父がわたしと一緒におられるのである。これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」
  するとそのことは、人生の三大事件の最後のひとつ死についても言えないでしょうか。死は、死去ではない、逝去でもない、永眠でもない。「召天」です。それは新しい神との交わりの仕方にほかなりません。十字架のイエスは、そのわきの犯罪人に言いました。「今日あなたは、私と共にパラダイス天国にいるであろう」 と。この交わりは、永遠の昔に神が約束した、「インマヌエル、神われらと共に」です。死とは、神との新しい交わりです。十字架の主が、そのことを約束しています。
  イエス・キリストの誕生を考えて見ましょう、クリスマスに、その名は「インマヌエル、神われらと共に」。神は父・子・聖霊の交わりの中にあります。その交わりが三位一体です。その似像が、結婚です、男女のカップルです。そこから新しい生命が誕生するのです。人生の三大事件、すべてにインマヌエルが生きています。すばらしいではないでしょうか。
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