7月11日(日)「すべての存在の幸いを求めて」説教要旨

           聖句
旧約 「あなたがたは立ち返って、静かにしているならば救われ、穏やかにして信頼いるならば力を得る」
  (イザヤ30:15)

  新約 「今、私は主とその恵みの言葉とに、あなたがたをゆだねる。御言葉には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人びとと共に、御国をつがせる力がある。私は、人の金や銀や衣服を欲しがったことはない。あなたがた自身が知っているとおり、私のこの両の手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人びとのためにも働いてきたのだ。私は、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、幸いである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」
  (使徒行伝20:32-35)


   今日の題は、「すべての人の幸いを求めて」ではなく、「すべての存在」です。人間だけでなく、一切の存在しているものを含んでいます。今日エコロジーでは、小さな虫や魚が絶滅のおそれがあると、世界中が大騒ぎします。こうしてすべての存在に目が注がれなくてなりません。そのために私たちは「このように働いて、弱い者を助けなければならない」(使徒行伝20:35)のです。

   「働く(はたらく)」とは、「はたの人を楽にすること」、つまり「まわりの人びとを幸せにすること」だと言われます。もちろん、私たちは、自分の生活、あるいは家族を養うために働いているかも知れませんし、それはそれで意味あることです。しかし、それだけなら、自分の腕の労働によって、どこに「すべての人の幸いを求める」ことがあるでしょうか。ある意味で利己主義でなくても、「自己主義」ではないでしょうか。皆さんは、おそらく何かの事で、他の人から、思わないことで、助けられたことが、何回かあるでしょう。私たちは、お互いに支え合ってできているのです。もし私たちの生活のどこかの部分に「他者のため」ということがなければ、キリストが言われた「受けるよりは与える方が、幸いである」のお言葉が、生きてこないでしょう。

   与えることは受けるよりも幸いなのです。したがって、与えることは他者を幸せにすると共に、自分自身をも幸いにするのです。与えることによって、どんなにか、相手から受けているか、それは量り知れないほどです。私は障害の人のためにした積もりで、かえって彼らからいただいたものが多かったことを思い出します。

   しかし、私たちは行為する時、大切なものを忘れています。パウロは、何よりも先に言います.
「今、私は主とその恵みの言葉とに、あなたがたをゆだねる。御言葉には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人びとと共に、御国をつがせる力がある」 「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植え付けられている御言葉をすなおに受け入れなさい。御言葉には、あなたがたの魂を救う力がある」(ヤコブ1:21)
ただ御言葉に力があるとは、聖書を朗読すれば、あるいは聖書を解説し、注釈すれば力があるのではありません。御言葉に突入する、御言葉のとりこになる、そして聖霊をいただくことです。そのために祈らねばなりません。

  ここで大切なことは、「ゆだねる」ことです。信仰の力は、この「ゆだねる」にあります。「ゆだねる」ことは、いわゆる「おまかせする」ことです。「おまかせする」とは、私がちょこちょこでしゃばらないで、偉大な力強い神さまに、一切をおまかせするのです。「信頼」と言ってもよいです。信仰の大部分は、この「信頼」から成り立っています。
「あなたがたは、立ち返って静かにしているならば救われ、穏やかにしてより頼むなら力を得る」(イザヤ30:15)
「おまかせする」とは、「何事もあなたまかせの秋の暮れ」というように、投げやりな気持ちをいうのではありません。また人任せで無責任な態度をいうのではありません。ここには「あなたがたは、立ち返って静かにしているならば救われ」とあります。回心ということが、あります。
   「静か」とは、日本的静寂さではありません。何もしないことでもありません。「立ち返って」、つまり人間に捕らわれている心から、神へと方向転換するのです。静かさへと、動的に動くのです。その結果、「ゆだねる」、その時、思わない力を上から与えられる。このようにして、いただいた信仰の力をもって、他者に仕える。それが「与えるは受けるよりも幸い」という言葉の意味です。まず
  • 1「立ち返える」
  • 2「静かにする」
  • 3「信頼しておまかせする」
  • 4「力を得る」
  • 5「その力で他者を救う」
  • 6「すべての存在の幸せを求める」
のであります。  

  「主よ、私を平和の器となしたまえ
     憎しみの支配するところへ、愛を運ばせ、
    悪意のあるところへ、ゆるしを
     争いのあるところへ、和解を
    誤りのあるところへ、真理を
     疑いのあるところへ、信仰を
    失望のあるところへ、望みを
     暗き中へ、汝のひかりを
    悲しみのあるところへ、喜びを
     おお主よ、私をして慰められるよりも人を慰めることを努め、
    人から理解されるよりも、人を理解し
     人に愛せられるよりも、よい多く人を愛せしめたまえ
    そは与えるものは、受け
     自己を忘れるものは、見いだし
    ゆるす者は、ゆるされ
     死ぬる者は、再び永遠の生命によみがえるからであります」
(フランシスの祈り)      

ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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