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9月5日(日)「 私たちの交わりと性格 」説教要旨
  聖句
旧約 「モーセは主に言った『ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたがしもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです』。主は彼に言われた、『だれが人に口を授けたのか。おし、耳しい、目しいに、だれがするのか。主なるわたしではないか。それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう』」  (出エジプト4:10-12)
新約 「するとペテロがイエスに答えて言った、『たといみんなの者があなたにつまづいても、わたしは決してつまづきません』。イエスは言われた、『よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』。ペテロは言った、『たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません』」  (マタイ26:33--35)
  テレビで三人の人が対談していました。母についての話でした。東大の先生をしている男性は、自分はマザコンだと言います。しかし、俳優とアナウンサーの女性は二人共、母に対しては、かなり冷静に客観的に見ている面があると言いました。その時、父親についての意見は出ませんでしたが、もし父親の話になったら、全く違った答えをするのではないでしょうか。まず母親に対する考えも男と女で違います。同じように性格も固定したものではありません。まず相手によって変わります。時代、年代によって、さらに環境によっても変わります。私たちは性格を問題にする時、たいがい固定的に考えます。「私はこういう性格だから、それできない」。「彼はあの性格だから、だめだ」。しかし、性格は変わります。私は信仰をもって性格が変わりました。病気になって変わることもあれば、健康になって変わる人もいます。性格というものは、非常に流動的なものです。
  しかし、聖書は「性格」そのものを問題にしません。性格を問題にするのは、いつも人間の側であります。
  モーセをごらんなさい、「私は口べたです、だめです」 と言います。しかし、神は「だれが口をつくったのか 」と問います。そしてモーセの性格の弱点をおぎなうことを神はなさるのです。私たちが性格を言う時、多くの場合、弱い点も問題にします。
  しかし、パウロも言っているように、弱いところで強いのです。「ところが主は言われた、わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全に現れる」(Ⅱコリント12:9)
  ペテロの場合はどうでしょう。よくペテロ的性格、ヨハネ的性格などと言います。ペテロは直情径行で、すぐにやる、そしてすぐに失敗します。カイザリア・ピリポで、「あなたは生ける神の子キリストです」 と一番先に言います。いわばおっちょこちょいです。嵐の湖で「みもとに行かせてください」 と言いながら、波風を見て恐れ、沈みそうになると、「主よ、お助けください」 と言います。
  ペテロに対してヨハネは物静か、思慮深い。イエスはその性格を見抜いておられ、十字架の前に、ペテロに「あなたは鶏の鳴く前に三度私を知らないというであろう」 と言います。しかし、エルサレムの教会を指導したのは、ペテロです。ペテロは「主よ、この人はどうですか」と聞くと、イエスは「たといわたしの来る時まで、彼が生き残っていることをわたしが望んだとしても、あなたには何のかかわりがあるか。あなたは私に従ってきなさい」(ヨハネ21:21) と言われました。
  パウロは「あなたがたの間にいて、面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」(Ⅱコリント10:1) と自分の性格を描写します。パウロは激しい、迫害の急先鋒であり、ペテロとも喧嘩しています。「ところがケパがアンテオケに来た時、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面と向かってかれをなじった。というのは、ヤコブのもとからある人びとが来るまでは、かれは異邦人と食を共にしていたのに、彼らが来てからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。彼らが真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った。『あなたユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいいるのだ」(ガラテヤ2:11-14)
  しかし、この激しいパウロが、「生きる望みさえ失ってしまい」(Ⅱコリント1:8) 弱い時に強いという。人間の性格は矛盾したもので、気の弱い人に案外、勇気を見せる時があり。強きの人が、案外弱音をはくのです。
  それが人間というもので、決して一筋縄では行きません。ですから、性格を固定的にみることは間違いです。環境によっても、時代と共にかわる、年齢と共に変わるのです。そして神が性格を問題にしないどころか、その弱さを神にゆだねなさい、そうすれば神は、その弱さを通して、み旨ねをなしてくださるのです。
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ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。 |
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