11月28日(日)「 聖書を覚えよ 」説教要旨

           聖句
旧約
 「なんじら立ちかえりて、静かにせば救いをえ、穏やかにしてより頼まば力をうべし」  (イザヤ30:15、文語訳)
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」  (口語訳)
「お前たちは、立ち帰って、静かにしてるならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」  (新共同訳)


  新約
 「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」  (マタイ7:7、文語訳)
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう」  (口語訳)
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」  (新共同訳)


  「聖書を覚えよ」とは、感銘を受けた聖句を暗記する意味です。特愛の聖句を暗記していると、何かの時それで、思わない助けを与えられることがあります。こうして覚えた聖句をためてゆく。100ぐらい覚えると、あなたの信仰は成長します。そこで上に私自身が、最初に覚えた聖句旧約・新約二つを三つの訳で示しました。 

  まず旧約聖書、イザヤ書30章15節です。この句を発見したのは、中学生時代、内村鑑三の書によってです、内村はこれを「マルチン・ルター特愛の句」と呼んでいます。あの混乱の宗教改革のただ中で、ルターは躁鬱病でした。彼にとって救いは、神の言葉以外にありません。
「なんじら立ちかえりて、静かにせば救いをえ、穏やかにしてより頼まば力をうべし」
この御言葉は、どれほど力があったでしょう。

  それから私は牧師になって北海道に行った時、札幌北一条教会の長老西村久蔵氏の話を聞きました。彼は戦時中輜重兵の隊長で、北支で中国の大軍に囲まれました。その時、部下は、「もはや弾もありません。敵陣に切り込みましょう」と言った時、彼はこのイザヤの言葉が浮かんだのです。そして皆と共に塹壕の中で祈りました。戦争という、激動の嵐の中でも、この御言葉は生きる力であったのです。もしこの御言葉がなければ、味方は全滅していたでしょう。

  もう一つ北海道の伊達教会の信者で洞爺湖温泉ホテルを経営していた婦人は、経営に行き詰まり、多くの借財をかかえて、どうしようもなく彼女は洞爺湖に飛び込みました。しかし、なかなか死ねない、その時、このイザヤの言葉が浮かびました。
「なんじら立ちかえりて、静かにせば救いをえ、穏やかにしてより頼まば力をうべし」
彼女は救われました。

  このイザヤ書の御言葉で「静かにする」と言うのは、じっとして何もしないのではありません。
「なんじら立ち返って、静かにせば」
です。静かにするには、回心して神に帰らなくてはなりません。日本的何もしない静穏さではありません。誰しも例外なく「静かに」しなくてはならないのは、嵐の真っ只中です。だから立ち返るのです。どこに?神にです。生ける真の神に帰るのです。

  また「穏やかにする」ということも、じっとして何もしないのではありません。「より頼む」、信頼するのです。よく私たちはどうしようもなくなると、「事態を静観しよう」などと言います。しかし、静観には、信頼はありません。静観には運命のようなものはあっても、神はいません。信頼するとは、神が世界を動かしておられ、その神は愛の神にほかならないと信じることです。信じるだけでなく、「より頼む」、全能の神にお任せする面がなくてはなりません。もう一度、読んで見ましょう。
「なんじら立ちかえりて、静かにせば救いをえ、穏やかにしてより頼まば力をうべし」


  次に新約聖書に参りましょう、
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」
これは有名な言葉です。しかし、これを同じことの3回の繰り返しと思ってはなりません。ここに、前進的に程度が大きくなっている様を見なくてはなりません。
  「求めよ」は口で求める、次に「探す」足を使って、歩いて探し回る。ついに門があって入れない。閂はもこう側についている。こちら側でできることは、「叩く」ことです。最後は手を使って叩くのです。そのように私たちの祈りにも進歩がなくてはなりません。
  注意してください、最後にあるのは、壁ではありません。壁なら叩いても開きません。それは門です。しかも向こう側に閂のかかっている門です。その門が、叩き続けるなら、開かれるのです。こちらからこじ開けるのではありません。神が、向こう側から開きたもうのであります。そしてその次に、
「すべて求める者は与えられ、尋ねる者は見いだし、門を叩く者は開かれる」
とあります。「すべて」です、例外なくです。祈る者は、あなたもです。
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。
   


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